絵馬
芝居絵・歴史話
東山桜荘子の図
大絵馬 108×186cm
制作年 不明
願主 不明
歌舞伎「東山桜荘子」は佐倉宗五郎
(さくらそうごろう)
の名で知られる義人木内宗吾の事績を脚色したもの。宗五郎は悪税に悩む村民のために総代となり将軍に直訴、捕らえられ妻子と共に磔にされたという。後年 佐倉藩により口ノ明神として将門山に祀られた。本図は六場面に分割され、芝居の筋書きに沿って描かれている。(右)村人に送られ妻子に別れを惜しむ(中上)橋の下から将軍に直訴 (中下)妻子とも拷問に会う (左上)明神として祀られる (左下)領主堀田家は、宗吾一家の亡霊に悩まされ滅びる。各地の農村でこの物語の素地が出来ていた。幕府が出来て250年、数多くの百姓一揆が発生した。義民を顕彰する活動も18世紀後半から活発になる。明治の頃から「惣五郎歌舞伎」は佐倉義民伝として定着した。
祇園祭礼信仰記の図
天井柱の陰になり分割写真。本宮で最も大きい大絵馬 65×182cm
制作年 不明
願主 不明
戦国時代を題材した芝居絵 織田信長の事績を記した『信長記』を脚色したもの。足利家に謀反を起こし、金閣寺に立てこもる松永大膳は将軍の母を幽閉し、絵師雪舟の孫娘雪姫を捕らえる。大膳によって桜の木に縛られた雪姫は、足で桜の花びらを集めて描いた鼠が縄を食いちぎるという奇跡によって自由の身となる。また、小田信長の家臣真柴久吉は批下東吉と名乗って、大膳に降参したと見せかけ、慶寿院を助けだして大膳を追い詰める二段 三段 四段目が描かれている。雪舟の孫娘雪姫が桜の花びらで鼠を書く場面は、雪舟が涙で鼠を描いた逸話を思い起こす。※ぜさいは薬屋
右端
「祇園祭禮信仰記」
とある
大江山酒呑童子退治の図
傷みがあり中央の部分は判別しにくい大絵馬
右端「大江山鬼童退治」とある
制作年 不明
願主 不明
江戸中村座の脇狂言(寿狂言)で貞享元
(1684)
年中村座「酒呑童子鬼退治」に始ま ると伝えられる。平安時代丹波の国・大江山に住む鬼の酒呑童子退治のため源頼光が家来の四天王(渡辺綱
、
坂田金時、卜部季武、碓井貞光
)
らと山伏姿に身を変え、老翁にもらった眠り薬入りの酒、神便鬼毒酒
(しんべんきどくしゅ)
を飲ませて鬼退治をした。鬼の首は頼光の兜
(かぶと)
にかみつき離れなかったという。酒呑童子は
御伽草子
や能「大江山」に登場する。
芝居絵
図柄は綿密に描かれ鮮明な色彩で美しい芝居大絵馬
制作年 不明
願主 不明
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