絵馬 芝居絵・物語
リストマーク 赤穂浪士討入りの図
大絵馬 107×178cm
制作年 安永五年八月九日
願主  不明
元禄14(1701)年3月14日浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷。即日田村家にお預け切腹となった。城代家老大石内蔵助はその対策を指示する。元禄15年12月14日赤穂浪士四十七人が吉良邸に討ち入り本望を遂げる。吉良上野介は画面左下に大石内蔵助は右下に描かれている。
リストマーク 仮名手本忠臣蔵の図
鮮明に描かれている美しい大絵馬 140×190cm
制作年 明治十二年五月吉辰
願主 不明
寛延元(1748)年大阪竹本座で初演された浄瑠璃。播州赤穂の浪人大石内蔵助良雄を首領とする快挙に参加した四十七名という数は、いろはの仮名「47」と同じであった。そこで「仮名手本」という外題が考えられ、「忠臣蔵」は忠臣を集めた蔵の意味のほかに、大石内蔵助の蔵もあわせている。
歌舞伎では、全十一段から成り立つ。時代を室町時代にとり、浅野内匠頭を塩谷判官(えんやはんがん) 吉良上野介を高師直(こうのもろなお)、大石内蔵助を大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)の役名で脚色している。歌舞伎の古典劇中最高の人気狂言となった。この絵馬は、すべての場面が細かく優美に描かれていて、数多い芝居絵のなかでも、美しいものの一つである。
リストマーク  一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)の図
繊細に描かれている芝居大絵馬
制作年 不明
願主 不明
熊谷と敦盛 忠度(ただのり)と岡部六矢太の挿話を描く時代浄瑠璃全五段。宝暦元(1751年に豊竹座で初演され、すぐに歌舞伎化された。一の谷の敦盛を呼び返す熊谷の場面 熊谷陣屋の場 敦盛の幽霊を見たという石屋の弥陀六が描かれている場が見える。
リストマーク ひらかな盛衰記
106×187cm 大絵馬
制作年 不明
願主 不明
「源平盛衰記」をかな書きにした時代浄瑠璃。元文4(1739)年に初演され、すぐに歌舞伎化された。木曾義仲の滅亡から一の谷の合戦までを描く全五段。
リストマーク 本能寺の変図
傷みが激しく不鮮明で、判別し難い芝居大絵馬
制作年 不明
願主 不明
明和4(1767)年12月大坂竹本座で初演された時代浄瑠璃。本能寺の変を扱った「三日太平記」。織田信長が明智光秀に討たれ、豊臣秀吉が天下をとるまでの史実を劇化している。「三日」は光秀の三日天下から来ている。当時は実名のまま劇化する事は許されなかったため、織田信長を小田春永 明智光秀を武智光秀 羽柴秀吉を間柴久吉などと役名をあらためている。
リストマーク  寺子屋の図
天井高く、傷みがあり不鮮明な絵馬
制作年 不明
願主 不明
菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)延亭3(1746)年大阪竹本座で初演された。藤原時平との政争に敗れて大宰府に左遷された管丞相(かんしょうじょう)こと菅原道真の事績の「天神記」や近松門左衛門の時代浄瑠璃の数々をあわせた全五段の時代浄瑠璃。四段目の寺子屋の場面。
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