幕末に活躍した洋学者、箕作阮甫が生まれ育った家。
阮甫は松平藩の藩医の子として生まれ、江戸詰津山藩医、宇田川玄真の門に入り蘭学を学んだ。
医学はもちろんのこと語学、歴史、地理、兵学など幅広く学問に通じ
1839年には幕府天文台の「蕃所和解御用(ばんしょわげごよう)」に招かれ
1853年のペリー来航時には、アメリカ大統領からの外交文書の翻訳に当たるなど
日本の外交交渉に重要な役割を果たし、幕末の動乱期の日本を支えた。
1856年には東京大学の前身である「藩書調所」主席教授に任ぜられ、わが国の大学教授第一号といわれている。
阮甫が14歳まで過ごした当時の町家が、そのままの雰囲気で解体復元されていて
母屋、土蔵、勝手、井戸など当時の藩医、箕作家の様子がうかがえる。
阮甫の子孫、箕作一門からは明治維新頃から現代にかけて憲法学者、美濃部達吉など
近代日本の基礎を築き発展に尽くした、数多くの人物を輩出している。
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