津山洋学資料館は、江戸末期から明治期にかけて日本の中心で活躍した、美作地方出身の洋学者の紹介と資料等を展示している。
(解体新書、西説内科撰要、新製輿地全図、オランダカルタ、当時の医療器具など)
杉田玄白、前野良沢に教えを受け日本初の内科書『西説内科撰要(せいせつないかせんよう)』などを著した、宇田川玄随。
幕府天文台翻訳員として、江戸時代のベストセラー外科書 『医範提綱(いはんていこう)』などを著して
「大腸」「小腸」「腺」「膵」などの字を作った、宇田川玄真。
わが国近代科学の祖といわれている、宇田川榕菴は医学、植物学、化学の他にも コーヒーや温泉成分の研究など幅が広い。
榕菴が作った科学用語の一例としては「酸素、水素、炭素、窒素、亜鉛、澱粉、酸化、還元、蒸留、飽和」等々がある。
幕末の対米露交渉などで活躍した、箕作阮甫は『泰西名医彙講(たいせいめいいいこう)』 『和蘭(おらんだ)文典』等多くの著書を残している。
津田真道は阮甫に蘭学を佐久間象山に兵法を学び、西周とともにオランダに留学し、のち貴族院議員、男爵となった。
その他にも多くの津山出身の洋学者たちが、広い分野で活躍した。
旧洋学資料館は、大正9年に妹尾銀行として建てられたもので大正期のすぐれた建築技術を示している。
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