古川古松軒画像(部分) |
古川古松軒 「百聞は一見に及ばず」。古松軒の著作にしばしば見える言葉である。古川古松軒は何よりも自らの目で見ることを重んじた実証の人であった。 古川古松軒は享保十一年(一七二六)今の総社市新本に生まれた。八歳の時母勝を失ったこと、二十歳のころ京都に住んだこと以外、若いころの古松軒についてはほとんど明らかでない。いつのころからか、現在の真備町岡田に移り、「仲屋」という薬屋を営んだが、四十歳半ばのころには、博奕にふけったり、代金不払いで大坂の薬問屋から訴えられるなど、その生活は決して安定したものではなかったと思われる。 自ら「遅まきの人」というように、「西遊雑記」・「東遊雑記」など、古松軒の名を有名にした著作はすべて五十歳を過ぎてからのものである。「西遊雑記」は五十八歳の時、一人で九州を巡った旅の紀行。幕府巡見使に随行して江戸から蝦夷地に至り、紀行「東遊雑記」を著したは六十三歳の天明八年(一七八八)であった。幕府巡見使に随行して蝦夷地へ行くことができたのは、松平定信の家臣小笠原若狭守の侍医松田魏楽の養子になっていた長男護孝(魏丹)のつてによると考えられる。 |
古川古松軒が意外に知られないのは江戸時代に著作が出版されなかったこと、また地元岡山で必ずしも知名度が高いといえないのは県内に関係する著作が少ないためであろう。 本館で閲覧できる古松軒の著作は、「西遊雑記」・「東遊雑記」・「四神地名録」・「古川反古」・「吉備之志多道」・「八丈島筆記」など近代以降に刊行された著作であるが、「日記・雑記」・「紀行都の塵」・「東行雑記」・「帰郷しなの噺」・「四国道之記」など未刊の著作を紹介した岡山県立博物館の『研究報告』や渡辺知水が古松軒の和歌を集めた『古松軒歌集』もある。 また、古松軒を紹介した文献には、『わたしたちのふるさと「総社」誇りに思う人々』・『総社市人物風土記』・『郷土にかがやく人々』・『思想の流れ』・『ゆかりの地を訪ねて』下巻・『岡山県史』近世Vなどのほか、雑誌『倉敷春秋』・『高梁川』・『温古』など多数があるが、『吉備郡史』下巻は、多くの関係資料を収録して、古松軒研究の基本図書として貴重である。 |