伊木長門守忠貞
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『主君の警衛のために江戸へ向かった忠貞が箱根の関所にさしかかると西国大名の人数は通行止めという布令が、慶安の変に関連して出されていた。忠貞は「将軍に対して二心ある者にあらず。お疑いなら帰りまで、この腕をお預かり下され」と詰めよったので番人どもが恐れをなし門をひらいた。ところがこれに便乗した者が「伊木長門(忠貞)の家中」と偽称して関所を越える者数知れずだったという。』※1 『忠貞は江戸からの帰国途上、川崎宿で急死するが、その死因について将軍からの使者が追いかけてきて茶会に招待され、覚悟を決めて茶会に臨み毒殺されたという。』※2 地元では千力様とも呼ばれている伊木忠貞については次のような参考文献がある。 『伊木氏表忠録』※1 (池上淳之編)、『邑久町史』※2 (邑久町役場)、『備前藩筆頭家老伊木氏と虫明』(邑久町郷土史クラブ編)、『岡山藩政史の研究』(谷口澄夫著) |