- 岡山藩3代目藩主。
- 姫路藩主池田利隆の嫡子として生まれたが、利隆の死後、転封させられ鳥取藩主となる。1628年天樹院千姫の娘勝子と結婚し、1632年には岡山藩主となった。光政は名君とうたわれ、光政の代に城下の全盛を迎えた。
- はじめ、熊沢蕃山を召し抱え、陽明学を信奉した。
備前大洪水の被災者救済を契機に給人の地方知行制、郡方支配制度など全面的な藩政改革を行ない、藩主への権力集中を図った。
- のちに陽明学から朱子学に移り、儒教主義の統制を強化し、寄宮、切利支丹神道請、寺院整理を行った。また、手習所の設立、藩学校の新築も行った。閑谷学校(現備前市)もそのひとつである。
- 1672年には隠居して嫡子綱政に相続させた。享年74才。
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