岸田吟香画像 (個人蔵) 画像等の無断複製・転載・改変・ 放送等は禁じられています。 |
(1833〜1905) 江戸から明治にかけての新聞人、実業家。 久米郡垪和村大字中垪和(現旭町栃原)で生まれた。 民間で発行された日本最初の邦字新聞「海外新聞」を創刊するとともに、「横浜新報・もしほ草」を発行し、原稿の執筆、編集を行った。 その後、東京日日新聞社に入社し、記者、編集長として活躍した。また、台湾事変の際には、日本最初の従軍記者として現地から報道する一方、海運会社や薬品販売会社「楽善堂」を経営し、中国大陸へ支店を設けるなど、実業家としても活躍した。当時、楽善堂の目薬「精綺水」は有名であった。 旭川ダムのほとりには、記念碑がある。また、画家、岸田劉生は吟香の四男。
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【参考資料(岡山県立図書館所蔵)】
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岸田吟香引札 |