木山捷平(笠岡市六番町笠岡市立図書館提供) |
郷愁の作家 (1)木山捷平文学の研究書 庶民的・飄逸(ひょういつ)でユーモアに満ちた詩人・小説家と一般に評されている木山捷平は、明治三十七(一九〇四)年、小田郡新山村(現笠岡市山口)で生まれた。彼が文学への道を志したのは中学校時代からであるが、父の反対により大正十二年に兵庫県の出石で教鞭(きょうべん)をとることになった。しかし文学への思いは捨てきれず、三年後には父に無断で上京し、同郷の赤松月船の詩誌「朝」の同人となって詩作に励んだ。昭和六年、みさを夫人と結婚してからは作家に転じ、戦中戦後を通じて数々の作品を発表していった。彼は私小説風の作品を多くこの世に残しているが、それらの作品には幾度もの大患、父との確執、渡満による辛苦に満ちた体験、結婚後の耐乏生活という、彼の不遇な人生経験が色濃く反映されている。 ここで捷平及びその作品に関する資料のうちのいくつかを紹介したい。岡山文庫の『木山捷平の世界』(平4・定金恒次著)は、捷平の全生涯を伝記形式によって記した、手軽に読める一冊である。捷平の人生の画期ごとに項目立てられており、木山文学への読書案内的な性格を持つ。この他にも著者は、倉敷市立短期大学研究紀要第十三号〜第二十六号(第十八号・第二十五号除く)に、「「出石城崎」論−木山捷平文学における青春の鎮魂歌−」、同第二十三号に「木山捷平文学における「性」への意識」を発表している。 |
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木山捷平生家(笠岡市山口) |
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文芸季刊誌「雎鳩(みさご)」は、粟谷川虹氏が以前よりしたためてきた木山捷平論を発表する場として発刊の運びに至ったという経緯を持つ。粟谷川氏は創刊号で「評伝 木山捷平と吉備の国」を田子直道という名で発表して以来、第二号から十九号(除十六号)の長きにわたって「評伝・木山捷平」を連載している。これは、数々の捷平の作品から捷平の内面を浮き彫りにしようとした労作である。また、第二十三号は〈木山捷平生誕九十周年記念特集号〉と題され、様々な角度から捷平を検証している。この情熱的ともいえる取り組みによって、粟谷川氏は平成三年の岡山・吉備の国文学賞優秀賞を受賞した。受賞作である「木山捷平さんと備中」は、『岡山・吉備の国文学賞』(平3・岡山県郷土文化財団編集発行)に所収されているので参照していただきたい。 |
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(2)木山捷平の「郷愁」 たがわすれめや |
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この歌碑は彼の死後から十年経過した昭和四十七年に、中学校時代の友人達が建てたものである。昭和十九年に彼が満州へ渡り、終戦直後明日の命も知れない状況下で、長春の広野から遥か故郷の大地に想いを馳せて詠んだ歌である。捷平の碑はこの他にも笠岡市古城山公園や笠岡市立図書館前庭に建てられているが、とりわけこの歌碑からは、彼の強い望郷の念が感じられる。 |
(『岡山県総合文化センターニュース』No.372・373、H7,9・10)
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