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河本家のひとびと
『備前孝子伝』には合計百五十八人の孝子・忠臣・義士・貞女が収録されているが、このうち第五巻には、岡山城下の「船着町灰屋巣居」(そうきょ)が紹介されている。船着町の灰屋は江戸時代後期の岡山を代表する豪商河本家のことで、特に巣居の孫にあたる
河本立軒は「経誼堂」の創立や宝物の収集家として知られた。 |
『備前孝子伝』によると、巣居は幼くして母と死別し、伯父にあたる河本一居の養子となって養父一居に孝養を尽くした。 |
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「南村訪雪図」(岡山県立博物館蔵) |
河本家が収集した書籍類は城下の町人に公開された。 これが「経誼堂」(「経誼書院」)で、図書館兼教育機関であったと考えられ、岡山藩の許可を得て正式に創立となったのは立軒の時といわれる。 「経誼堂」の蔵書は三万二千冊に及んだといわれるが、江戸時代末期には、「経誼堂」は閉鎖され、蔵書は換金のため船二艘で大坂へ運ばれたところを土佐藩主山内容堂が船ごと買い取ったと伝えられている。 「経誼堂」は『日本文庫史』(小野則秋)や『岡山の図書館』など図書館の歴史についてふれた著作に紹介されるが、『近世岡山町人の研究』(片山新助)や『ぼっこう横町』(岡長平)などが河本家について触れている。 また、河本家旧蔵の「地獄草紙」は『地獄草紙・餓鬼草紙・病草紙』(角川書店「新修日本絵巻物全集」 第7巻)、『餓鬼草紙・地獄草紙・病草紙・九相詩絵巻』(中央公論社「日本の絵巻」7)などに収録されており、『集古十種』も刊本で見ることができる。 |