|
蘭学者。備中足守藩士佐伯惟因(これよう)の三男。 はじめ大坂、のちに江戸で蘭学を学んだ。 1838年(天保9)大坂に蘭学塾(適塾あるいは適々塾)を開いて、多くの門人を育てた。 (適塾の門人一覧である「姓名録」には637人が署名しており、なかには福沢諭吉、佐野常氏、橋本左内、大村益次郎らの名前も見える。) 門人の教育と平行して蘭書を翻訳し、『病学通論』など多くの著書も発刊した。 1849年(嘉永2)大坂で、種痘に成功、1850年(嘉永3)備中足守で除痘館を開き藩内、その他近領の幼児に種痘を行った。 |
【参考資料(岡山県立図書館所蔵)】 「緒方系譜考」(緒方富男著・刊、大15) 「緒方洪庵と足守」(緒方・次郎著・刊 昭2) 「緒方洪庵伝」(緒方富雄、岩波書店、昭17) 「緒方洪庵のてがみ その一〜五」(緒方富雄、菜根出版、昭55〜平8) 「緒方洪庵と適塾」(適塾記念会編、エーザイ、昭55) 「緒方洪庵適々斎塾姓名録」(緒方富雄編、学校教育研究所、昭42) 「都道府県別適々斎塾姓名録」(適塾記念会編・刊、昭35) 「適塾門下生調査資料」第一集(適塾記念会編・刊、昭43) 「適塾門下生調査資料」第二集(藤野・梅渓編、大阪大学、昭48) 「緒方洪庵と適塾生−「日間煩事備亡」にみえる−」(梅渓昇、思文閣出版、昭59) |