良寛堂と良寛像(倉敷市玉島円通寺)
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- (1)良寛の生い立ちとその資料
安政八(1779)年十月頃、一人の僧がその師に従行し、玉島の地にやって来た。当時22歳のこの修行僧は良寛、師は円通寺第十世大忍国仙和尚である。
- 良寛は宝暦八(1758)年、越後国(新潟県)三島郡出雲崎で代々名主兼神職を務める橘屋山本家の長男として生まれた。幼名を栄蔵といい、性格は温和であったが社交性に欠け、昼行灯(ひるあんどん)とあだ名されるほどだった。しかし幼時から読書を好み、大森子陽の塾に入り和漢の学を修めている。18歳のころ、名主見習いとなった良寛は、そのわずか数カ月後に突然、曹洞宗光照寺に駆け込み、出家する。理由は定かではない。この光照寺で良寛は、越後へ巡錫(じゅんしゃく)にきて、しばらく同寺に滞留していた国仙和尚と出会う。そしてその徳を慕って弟子となり、故郷を離れ、玉島へと向かったのである。
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