そういう時代の流れで、多くの金工が廃業していく中、勝義はその技術を生かして新たに花瓶や香炉などの室内装飾品、彫像などの美術工芸品の制作を始めた。明治11年(1878)には、神戸の貿易商の注文で、当代随一の工芸家達と3年がかりで大衝立を作り上げる。これはアメリカに輸出され、現在ボストン美術館が所蔵している。
その後、勝義は国内、海外を問わず精力的に博覧会や美術展に出品し、各地で高い評価を受けた。受賞30数回、宮内省買い上げは13回に及んだという。
その作風は、上品にして精緻(せいち)、ときに生々しいほどの写実的な表現で、丹念に作り上げる。またその作品の色数の多さ、鉄錆地の美しさは、彫金師の中でも群を抜いている。
晩年は美術研究のため、京都に住まいを移した。明治41年(1908)に脳卒中で京都で逝去し、墓は岡山の東山にある。
参考文献としては、「正阿弥勝義の世界」(臼井洋輔)、「正阿弥勝義の研究」(浅原健・臼井洋輔)、「日本の彫金−その歴史と伝承技術−」(船越春秀)、「岡山県立博物館研究報告第二集」、作品は「岡山県立博物館館蔵優品図録」「林原美術館名品選」などでみることができる。
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正阿弥勝義作 芦葉達磨像
(林原美術館蔵)
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