たまかき
新見市は今年度から「新見庄愛の書状大賞」と銘打った手紙文コンテストを実施した。これは同市が地域活
性化を企図して平成二年度から行っている「ロマンの里づくり事業」の一環で、新見庄の「たまかき」の書状
にちなんで行われたイベントである。
ここで、たまかきについて簡単に紹介しておこう。彼女は、京都の教王護国寺(東寺)領の新見庄の荘官で、
惣追捕使の福本刑部丞盛吉の妹といわれるが、生没年に関しては不明である。東寺から派遣された直務代官と
して僧祐清が新見に着任したのが寛正三(1462)年のことである。たまかきは祐清の身辺の世話をする事にな
り、その時 心を通じ合ったと思われる。しかし、年貢の取り立てを厳しく行っていた祐清は、翌年七月に年貢
未納の名主の一人を追放したことを機に、庄民によって斬殺される。葬儀の後、たまかきが東寺に向けて祐清
の遺品を求めた手紙が「たまかき書状」で、中世農村女性の自筆書状として全国にも希有なものとされている。
たまかきに関する直接的な史料は「東寺百合文書」(京都府立総合資料館蔵)の中のこの書状と、「祐清注
進状」程度の限られたものである。ここでたまかき及び祐清殺害 に触れる郷土の文献を幾つか紹介すると、
(1)『新見市史』(昭40・新見市)、(2)『新見市史 通史編 上巻』(平5・新見市)、(3)『備中国新見庄』
(昭54・植木優、植木一枝著)、(4)『新見庄 生きている中世』(昭58・備北民報社)、(5)『ふるさと新見
庄』(平7・ふるさと新見庄委員会)などがある。いずれも新見庄の歴史の中の一事件として数頁取り上げら
れている程度であるが、(4)の中に収められている白根正寿氏の「”たまがき”について」という論文では、一
枚の書状という限られた史料の中から、たまかきの亡き祐清に対する慕情等を推察も加えつつ執筆されている。
また、「たまかき書状」に関しては、『岡山県史 第二十巻 家わけ史料』(昭60・岡山県史編纂委員会)や
『備中國新見庄史料』(昭27・瀬戸内海総合研究会編)等、既述の文献で紹介されているので参照願いたい。
「たまかき書状」に見られる彼女の願いが、聞き入れられたのかどうかは定かでない。新見市西方には、こ
の事績を後世に永く伝えようと、”たまがき碑”が建てられている。
(『岡山県総合文化センターニュース』No.387、H8,12)
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