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郷土が生んだ児童文学者
坪田 譲治 日本児童文学の三大作家の一人に挙げられる坪田譲治は、明治二十三(1890)年三月三日、御津郡石井村島田(現岡山市島田本町)に生まれた。彼の文学的出発は、明治四十一年の早稲田大学文科予科への入学からだと言われている。それは、文学の師として強い影響を受けた、小川未明との出会いが大きな要因となっている。彼は大学卒業後、家の都合で帰郷と上京を繰り返す。そのかたわら同人誌を発刊し、文学者としての第一歩を踏み出した。以後、鈴木三重吉主宰の童話雑誌「赤い鳥」などに作品を発表するが、困窮の中に作家生活を続けることになる。昭和十年、山本有三の紹介で、『お化けの世界』を雑誌「改造」に発表。これが好評をもって迎えられ、ようやく世間に認められるようになる。その後は作家としての地位も固まり、『風の中の子供』、『子供の四季』を新聞に連載。いずれも善太・三平を主人公にして郷土岡山を舞台とした家庭小説で、大人も子どもも共有できる小説として親しまれた。さて、この坪田譲治にとって、郷土岡山とはどんな存在であったのか、資料から見ていこう。 『坪田譲治生誕100年記念 坪田譲治の世界』(平2・坪田譲治の世界展開催等実行委員会編)は、彼の生いたちから作品紹介、また作品の背景となった郷土岡山の地がわかりやすくまとめられたもの。坪田文学を知る糸口となる資料である。これをより詳細にしたものが、岡山文庫『坪田譲治の世界』(平3・善太と三平の会著)である。本書には彼の作品がふんだんに取り入れられ、その中に彼の愛した故郷が生きていることが感じられる。 その他に譲治が編集したもので岡山に関するものがある。『少年少女文学風土記 ふるさとを訪ねてU 岡山』(昭34・坪田譲治編)である。これは、文学作品によって少年少女にふるさとを愛する心を育ててもらおうと編集されたもので、彼はその中に、「故里のともしび」を題した随筆を載せている。 同じく子ども向けに岡山の文学を紹介したものに、『岡山の子ども文学風土記』(昭61・岡山県小学校国語教育研究会編)がある。 子どもたちにこそ知って欲しい彼の世界が、岡山の美しい自然と共に描き出されている。既に彼の愛した故郷の風景は姿を変え、見ることはできないが、彼の作品を通してなら触れることができる。そして彼の故郷への思いもまた消えることはないのである。 |
(『岡山県総合文化センターニュース』No.376、H8,1)