山田方谷画像 |
山 田 方 谷 (1805〜1877) 幕末の政治家、財政家、教育者ですぐれた漢詩人。 阿賀郡西方村(現高梁市中井町西方)の生まれ。 幼いときから丸川松陰(しょういん)の門下に学び、神童と呼ばれた。江戸や京に遊学したのち高梁に帰り、藩校や私塾で子弟教育にあたった。 板倉勝静が藩主になると大いに重用され、勘定奉行として上下節約、文武・産業の奨励など数々の藩政改革を断行し、巨額の責務で窮乏していた財政を建て直し、大きな業績を残した。 明治元年には松山城を無血開城し、主君や領民の安全を守った。 |
【参考資料(岡山県立図書館所蔵)】
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