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L231「水島のあゆみ」(岡山県) P464 1971年、L051 「高梁川 第21号」(高梁川流域連盟)1962年6月30日発行 P34〜P41のうちP37〜P41 別紙参照、L293 「児島風土記」(倉敷の自然をまもる会・倉敷市文化連盟)1982年 P412 水島灘に浮かぶ上水島は明示三十六年に、ここに鈴木製錬所がつくられ、六十三戸の移住をみたが、第一次世界大戦後の不況で操業を中止し、現在は無人島となっている。(山本慶一)、L376 「下津井学校史年表」角田直一 1973年 P19、L290 「岡山文庫 84 岡山の島」巌津政右衛門(日本文教出版) 1978年 P85〜P86 明治になると一旦国有に帰したが、児島郡菰池村(倉敷市菰池)の旧家小橋家(屋号を丸山)が払下げを受けて上水島の持主となる。ついで明治三二年神戸の鈴木商店が小橋家から譲り受け、荒銅を主とした製錬所を設立、赤煉瓦の煙突から重苦しい白煙を吐く時代がやってきた。水島にいた龍王が毒煙にくるしんで元の持ち主小橋家の丸山にのがれてきたという噂がながれ、同家の裏山に龍王の祠がたてられた。ともかく初めの間は沿岸の塩生・宇頭間など、煙害の問題で大騒ぎしたものである。精錬所は漸次業績をあげ、大正二年には工員九五人の工場となり、同四年には従業者の家族を含め六三戸二八六人を数え、下津井西小学校の分校もでき、生徒数四〇人を超えるときもあった。しかし製錬所は第一次大戦後の好景気を頂上にして、しだいにふるわなくなり、第二次大戦前には工場を閉鎖、わずかの要員だけ残っていたが、終戦後は残っていた社員住宅まで撤去し、水島灘の残陽に廃墟をさらす無人島におちぶれた。児島通生の本荘八幡宮の境内には、いつ遷座したのか、八木龍王を祀る水島神社の祠がのこっている。
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倉敷市立図書館