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中世ヨーロッパの飲料水

しつもんないよう

中世ヨーロッパでは薄めた酒を水代わりに飲んでいたと聞いたことがあるが、どのように水分を摂取していたのか知りたい。

かいとうないよう

中世ヨーロッパの生活で何を飲んでいたのかを調査する。
①『中世ヨーロッパ食の生活史』p.50-54「すべてのヨーロッパ人がワインを日常の飲み物としていたわけではなかった。」との記述がある。また、1447年のある日記に、「貧しい人々はもっぱらセルヴォワーズ、ボシェ、ビエール(ビール)、シードル(リンゴ酒)、ポワレ(梨酒)を飲んでいた。」との記述があると紹介している。
p.44には、「圧搾機でしぼった花梗をたくさん含んだワインよりも、ブドウ栽培者がブドウをつぶす樽から流れ出る果汁、さらには積み上げたブドウから自然にしたたり落ちた液である「メール・グット」のほうが好まれた。圧搾したあとのしぼり滓に水を加えて作ったピケットは奉公人の飲み物だった」との記述がある。

②『15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史』p.230-231「ヨーロッパ北部ではブドウが生育しないために、もともとオオムギやエンバクを発酵させたアルコール飲料―英語ではエール、フランス語ではセルヴォワーズと呼ばれるもの―が作られていた。」「水の安全性に問題があって水の評価が低かった世界では、エールは大事な飲料であった。そのため、ワインが入ってきても、ワインは日曜、祝日、特別な機会の飲料であり、エールが日常飲料でありつづけた。また、宮廷や修道院などでは、ホップを使用して風味がつけられるビールが製造されていた。中世中期以降には、ドイツやフランドルの各地で特徴あるビールが製造されるようになり、各地で大量に消費された。」との記述がある。
そのほかには、p.239「「パンと水」のみに限るという断食」についての記述があるが、水についての記述はない。

③『図解ヨーロッパ中世文化誌百科 下』p.41「大麦でつくった中世のビールも栄養源の1つで、アルコール度はおそらく低かったと思われる。フランス、ドイツ、イタリアでは、ワインが豊富にあった。」という記述がある。

④『ブルゴーニュ歴史と文化』p.252「ガリア人の伝統的な飲物は、セルヴォワーズと呼ばれるビールや蜂蜜水で、大量に消費されていた。」「ワインを消費できるのは、当然ながら最も富裕なエリート層に限られ、下層の民衆たちは相変わらず、ビールを樽から汲み出していた。」という記述がある。

①~④に、飲み物としての水についての記載は見当たらなかった。

⑤『ヨーロッパの食文化』p.197「たとえば、一六世紀のスウェーデンでは、今日の四〇倍ものビールを消費していた。また、一七世紀のイギリスの家族は、一人当たり(子供も含めて算出して)一日三リットルのビールを消費していた。」とあり、要因として、食物を塩漬けにして保存したものを食すため、「今日よりも強く喉の渇きを感じていたと考えられる」こと、「ブドウ酒やビールは毎日の食事に簡単にすぐ利用できる補助カロリー源を提供し、食事が貧しく単調であればあるほど重要性を増した。」ことが挙げられている。
p.198「他方、ブドウ酒は水の「味をよくする」ためにも用いられた。というのも、水はそのままではほとんど飲めない代物だったからである。」「このことは、少なくとも一九世紀まできわめて深刻な課題として残されることになった。そこで、アルコールを加えることが、いわば殺菌剤の役割を果たすことになったのである。」という記述がある。
p.199「一七世紀に入って、ブドウ酒やビールに肩を並べるような、あるいはこの二つを凌駕するような新しい飲料がヨーロッパに普及した。」とあり、それは「蒸留酒、コーヒー、紅茶、ココア」であると書かれている。

上水道の歴史について調査する。
⑥『改訂上下水道工学』p.3-4「B.C.312年に完成したアッピア水道は全長が578kmにも達し、ローマ市内の浴場、噴水、公共施設、あるいは特権階級の館に給水が行われていた。」「帝国の崩壊とともに水道の発達も停止し、その後、新たな水道建設が始まったのは12世紀に入ってから」とあり、パリでは1190年ごろ、ロンドンでは1235年、ドイツでは1527年に水道が建設されたことが書かれている。ただし、「いずれも無処理のまま水だけを供給する施設で、浄水処理を取り入れた近代水道の建設は19世紀に入ってからである。」とある。
また、浄水処理については、p.3「沪過が最初に取り入れられたのは1804年のイギリスである。」、p.4「塩素消毒が初めて採用されたのは、1987年、イギリスで次亜塩素酸カルシウムによるものであった」という記述がある。

⑦『新上下水道なぜなぜおもしろ読本』p.2「中世に入った1235年、ロンドンで泉の水を鉛管と石造の水路により、市内へ導水するようになりました。」「1804年にはイギリスのチェルシーでろ過方式(緩速ろ過の原型)による浄水が開始されました。」という記述がある。

⑧『おいしい水きれいな水』p.28「古代から中世までの水道は、高低差による導水・配水が主で、単に飲料に適した水を引くという水道にすぎませんでした。」「水を浄化し、給水する近代水道の起源は、19世紀、英国スコットランドのグラスゴーといわれています。」「川の水を導水し、礫槽と砂槽を通し、きれいな水にしました。これは、緩速ろ過システムです。」という記述がある。
また、p.29「ジョン・ギブが作った浄水施設」の図が掲載されている。 

⑨『水道の文化』p.28-42第二章「変転する飲用水対策」に、十五世紀頃のパリやロンドンでは河川水を飲用水に使用していたこと、消毒効果を期待してアルコール飲料を飲んでいたこと、飲用水は生では口にせず調理用に利用していたことなどが書かれている。また、パリでは各戸に飲用水の供給がすすんだ一方で運河の汚染の問題もあり、家庭用の濾過器が販売されるようになったことなどが記載されている。

⑩『おいしい水のつくり方』スコットランドのジョン・ギブが考案したろ過法から、現代のろ過法まで、いろいろなろ過法の記述あり。

⑪『生活のなかの発明発見物語』p.30-32 1830年から1853年にロンドンでコレラが大流行し、水道はテムズ川の上流からくみあげること、「砂濾過」をしてから各家庭にくばることを定めた法律が制定されたことや、砂濾過の方法が記載されている。

⑥~⑪より、12世紀頃に配水が始まり、19世紀初めにろ過装置をとおすようになったことが分かるが、飲料水として飲んでいたかどうかの記述は見当たらなかった。

⑫『水の歴史』p.33-34「1236年、ヘンリー3世は、ロンドンの町の地下にニレ材と鉛の給水用パイプを敷設する許可を出し、富裕層の家には直接水が引かれることになる。ただしロンドン市民の大半はこの恩恵を受けられなかったので、相変わらずテムズ川の不衛生な水を使い続けた。」という記述がある。また、18世紀のドイツ人旅行作家ヨハン・ゲオルク・ケスラーがパリ滞在時の記録として残した文章を紹介。「川から汲みあげただけの水なので、町の中心地に来る頃にはすっかり汚れ、悪臭を放つまでになる。一方、郊外では―面倒なことに―水を「水運び人」からわざわざ買わなければならない。」
そして、中世では、水が不衛生で危険な飲み物であり、アルコール飲料は製造工程で加工処理され殺菌作用があるため安全に飲むことができるとして、ビールの一種であるエール、醗酵酒ミード、そしてワインがよく飲まれていたと説明している。

中世以降の飲料としての水については、同書に以下の説明がある。
p.43-44 1804年に技術者ロバート・トムがスコットランド郊外のペイズリーの町に初めての水濾過装置を設置し安全な水を供給する公共水道事業をはじめたこと、1828年にイギリスで公共水道に関する王立委員会が設立され、水質基準について議論されことが説明されている。
p.71-82 17世紀末にアントニ・ファン・レーウェンフックが顕微鏡で水の含有物を確認。1850年代にアーサー・ヒル・ハッサルがロンドンの水道水中の生物のスケッチを著書と雑誌に掲載し、水に微生物がいて中には飲むと危険なものもあるという知識が一般市民にまで浸透したとある。また、1854年のコレラの大流行時に、ジョン・スノーによる調査でコレラと汚染水の関連が解明されたこと、これを機に飲料水の水質が速やかに改善されたことが書かれている。
p.86-100 産業革命時代に禁酒運動家が、主に工場労働者を相手に、アルコールの酩酊状態が身体に悪いことを説いたと書かれている。例として、イギリスの下院議員エドワード・トマス・ウェイクフィールドの活動『ロンドンに無料の水飲み場を求める申し立て』を紹介している。また、アメリカの禁酒法時代(1919~33)に「ベンジャミン・パーソンズをはじめとする「禁酒作家」は、歴史を都合よく書き換えて、大半の古代文明の人々は水を飲んでいたと主張した。」という記述がある。

かいとうかん・かいとうだんたい

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中世ヨーロッパの飲料水

(チュウセイヨーロッパノインリョウスイ)

かいとうしたとしょかんまたはだんたい
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(オカヤマケンリツトショカン)

じょうほうげん(かいとう)
じょうほうげん(かいとう)

①ブリュノ・ロリウー『中世ヨーロッパ食の生活史』原書房,2003,305p. 参照はp.44, p.50-54.
②堀越宏一、甚野尚志『15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史』 ミネルヴァ書房,2013,8,352,10p. 参照はp.230-251.
③ロバート・バートレット『図解ヨーロッパ中世文化誌百科 下』 原書房,2008,2,281p. 参照はp.41.
④饗庭孝男『ブルゴーニュ歴史と文化』 小沢書店,1998,297p. 参照はp.252.
⑤マッシモ・モンタナーリ『ヨーロッパの食文化』 平凡社,1999,341p. 参照はp.197-199.
⑥茂庭竹生『改訂上下水道工学』 コロナ社,2007,10,227p. 参照はp.3-4.
⑦長澤靖之『新上下水道なぜなぜおもしろ読本』 ナノオプトニクス・エナジー出版局,2010,9,195p. 参照はp.2-3.
⑧橋本淳司『おいしい水きれいな水』 日本実業出版社,2007,173p. 参照はp.28-29.
⑨鯖田豊之『水道の文化』 新潮社,1983,285p. 参照はp.28-42.
⑩中本信忠『おいしい水のつくり方』 築地書館,2005,12,174p.
⑪藤田千枝『生活のなかの発明発見物語』 国土社,1985,270p. 参照はp.30-32.
⑫イアン・ミラー『水の歴史』原書房,2016,176p. 参照はp.33-34.p.43-44.p.71-82.p.86-100.

NDCぶんるい
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230:ヨーロッパ史.西洋史

518:衛生工学、都市工学、公園、水道

383:衣食住の習俗

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