八幡神社 (備前八幡宮)
由諸 八幡村(現中区八幡)に民の豊作、平安を願って天和元年(1615年)8代城主池田忠雄が造宮したが
たびたびの洪水の為か、お参りする人が少なく、衰退が始まった。
延宝4年(1676年)10代城主池田綱政が京都石清水八幡宮の分霊を遷宮した。
広い社有地を持って、大変権威のある神社だった。
明治42年、平成6年、共に全焼
明治44年、平成8年、共に再建
御祭神 神功皇后、玉依姫命、応神天皇。
御利益は五穀豊穣、家内安全、商売繁盛、厄除。
氏子は中島地区、八幡地区、竹田地区、高島地区。
(参考文献 「宇野地区の歴史」)
祭祀 10月26日、27日(平日の場合は土、日曜に変更)、1月1日
八幡地区(八幡村)は古来中洲だったため、頻繁に水害に見舞われ、治水の必要がありました。
そのために、神社の周りに沢山の樹木を植え、根生えの良い竹林を植え、水害に備えました。
今もその名残か、境内には樹齢数十年の樹木が多く繁っています。
そのせいか、昼間も少し暗く感じます。
秋には地区をあげての祭祀が盛大に行われます。
幟が立ち神社の参道には屋台が連なります。並び切れない屋台は、東の市営のグランドに
輪になって並び、それは、大人も子供も心をくすぐられる祭祀日です。
また、無形文化財、石見荒神神楽の舞台も鑑賞できます。
戦前までは児童の成長、安全、健康を願って、多くの学童が祈願に訪れていたようです。 |
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