絵馬 芝居名場面
リストマーク 浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)の図
他の絵馬と重なって見えない部分もあるが、図柄・色彩美しい大絵馬
制作年 明治壱年五月
願主 不明 
平井権八は、歌舞伎狂言では、白井権八の名で知られる。白井権八は江戸に出て、吉原三浦屋の遊女小紫となじみ、その遊興の金のため、辻きりを働き最期には自首し、延宝7(1670)年20歳の若さで鈴が森で死刑に処せられた。
鶴屋南北作浮世柄比翼稲妻」は、文政6(1823)年初演。通称 「稲妻草子」「鈴ヶ森」「鞘当」はそれぞれ独立して上演される。
右端部分に「平井権八新吉原あけやの段」とある
リストマーク 奉納 宮城野(みやぎの)と信夫(しのぶ)の仇討ち図
天井の柱のため分割した2枚になっている。 鮮明で美しい大絵馬
制作年 明治五年四月吉祥日
願主 不明
「碁太平記白石噺(ごたいへいきしらいしばなし)
慶安4(1651)年の油井正雪の乱と享保2(1717)年に奥州白石村で起こった剣道の師範に父を殺された百姓の娘二人(姉は宮城野、妹は信夫)による父の仇討ち話を人形浄瑠璃にした時代世話物。十一段。通称「白石噺」「揚屋」という。
リストマーク 足柄山の金太郎と山姥の図
天井柱の陰になり分割しているが、保存のよい華麗な大絵馬
制作年 不明
願主 不明
金太郎伝説はいくつか存在する。金太郎は足柄山で熊と角力をとり母に孝行する元気なやさしい子に育った。体は赤く肥満し怪力を有しマサカリを担ぎ腹掛けをかけ、熊 鹿 猿などを友とした。天延4(976)年足柄山にさしかかった源頼光と出会い家来となる。名前も坂田金時と改名。京にのぼって頼光四天王の一人となる。 歌舞伎では「怪童丸」という。
リストマーク 加藤清正虎退治の図
天井柱に隠れているが大絵馬(柱をはさんで分割)
制作年 明治十年
願主 不明
加藤清正は秀吉の朝鮮遠征の指揮をした。虎の出没に悩まされた清正は、大虎狩を催して獲物の数に応じて恩賞を与えたという。
リストマーク  於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)の図
保存のよい美しい芝居物大絵馬(1m80c以上)
制作年 不明
願主 不明
初演安永9(1780)年作者近松半二の人形浄瑠璃。歌舞伎の初演は寛政4(1792)年の上方世話物狂言。通称「お染め久松の七段」 浅草瓦町油屋の娘お染めは、親の決めた質屋の旦那の許婚がいながら、丁稚の久松と恋仲になる。
右端部分 質店ノ段
リストマーク 奉献 お軽・勘平の図 
制作年 明治二十一年五月
願主 横山俊造 高下甫造 藤森小筆
仮名手本忠臣蔵の舞踊劇「道行旅路花婿(みちゆきたびじのはなむこ)」の場面
リストマーク 一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)熊谷陣屋の図
天井裏にあり、保存がよく鮮明な美しい大絵馬。分割写真
制作年 不明
願主 不明
「平家物語」で知られた平敦盛(たいらのあつもり)の最期と熊谷直実(くまがいなおざね)の出家と武士の無常観を題材にした物語。直実が敦盛の首を切ったと聞き、熊谷陣屋へ尋ねてきた藤の方(敦盛の母)と相模(小次郎の母が再会。 突然現れた義経に首実検に差し出されたのは熊谷の倅小次郎の首だった。敦盛を助けよとの義経の内意を、直実が汲んでくれたことを知り義経は「敦盛の首に相違ない」という。直実がわが子を身代わりにして敦盛を助けていたことがわかった場面。
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