大正15年5月 岡山市写真帖
東山公園・奥市公園
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◆説明 「東山公園」
明治6(1873)年3月に玉井宮などがある東山一帯を公園地指定の許可を得て偕楽園(偕楽公園とも)としたのが始まり。その後、東山公園と名称を改めた。
公園は敷地拡張・整備をすすめ、大正12(1923)年管理についてすべてが県から岡山市へと委任された。
東山公園には招魂社(後の岡山県護国神社)があった。招魂社はその後、奥市公園に移転。
ほかに「健忘斎中川横太郎君之碑」(中川横太郎:明治中期に活躍した社会事業家)もあった。碑は現在岡山城と岡山県立図書館との間の濠端へと移動されている。

「奥市公園」
当初は東山公園の一部として開発されたが、東山公園が運動もできる自然公園の役割を期待されるに従い東山公園と分離。
大正8(1919)年から東山体育協会の手によって野球場、トラックなどの各種体育施設が充実されたうえで岡山市へと寄付された。

◆参考文献 「東山公園」について
『岡山県護国神社百年史』 巌津政右衛門編 岡山県護国神社社務所 1976
『岡山市百年史 上巻』 岡山市百年史編さん委員会編 岡山市 1989
『岡山市史 第5巻』 岡山市役所編 明治文献 1975

「奥市公園」について
『岡山県護国神社百年史』 巌津政右衛門編 岡山県護国神社社務所 1976
『岡山市百年史 上巻』 岡山市百年史編さん委員会編 岡山市 1989

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 〔岡山県立図書館メディア工房〕
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