藤戸合戦の古戦場をたずねて − 源平合戦ゆかりの地
リストマーク 名称(ヨミ) 盛綱橋(モリツナバシ)
リストマーク 場所 倉敷市藤戸
− 盛綱橋にある盛綱の像(撮影:川元 一夫) −
リストマーク 説明 藤戸地区と対岸の天城地区をつなぐ橋である。
現在の橋は、平成元(1989)年10月に開通されたもので、先代の橋は、大正15(1926)年に当時としては珍しい鉄筋でかけられた。
以前は藤戸橋といっていたが、いつの間にか盛綱橋といわれるようになった。
なお、写真の佐々木盛綱の銅像は、橋の北より(天城より)にある。
リストマーク 参考情報 かつては、天城と藤戸の間は、舟渡しであったが、正保4(1647)年に木橋をかけて、はじめて両岸が結ばれた。
なお、盛綱橋の南側には、創業200年を数える当地の名物「藤戸饅頭」の店がある。
◆「佐々木盛綱」について
佐々木三郎盛綱ともいい、鎌倉初期の守護。
仁平元(1151)年、近江の国の生まれで、仁安元(1166)年から伊豆に赴き、源頼朝に仕え、軍功をあげていく。有名なのは、源平藤戸合戦の先陣であり、このことを聞いた頼朝は、功績抜群と感状を与えほめたたえた。また、あわせて、児島のほか越後、伊予など5カ国の守護に任じられた。
頼朝没後は、所職を没収され、出家して西念と称したが、建仁元(1201)年、将軍頼家の命で越後の城資盛を討った記録が残っている。末期については、不詳とされてきたが、近年の研究では、健保6(1218)年、群馬県下で没したという。
リストマーク ギャラリー
現在の盛綱橋(撮影:堀家純一) 現在の盛綱橋(撮影:堀家純一)
先代盛綱橋(撮影:堀家純一)
※現在は撤去されている。
先代盛綱橋〈遠景〉(撮影:堀家純一)
リストマーク 参考文献 『藤戸 謡曲の舞台を訪ねる』  小出 公大/著  (1984年) 52p
『藤戸 岡山文庫』 原 三正/編著 (1991年) 173p
『岡山県歴史人物事典』 岡山県歴史人物事典編纂委員会/編集 (1994年) 1254p
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〔岡山県立図書館メディア工房〕
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