【田原井堰跡 附田原用水路一部、百間の石樋、切抜き】 - デジタルおかやまだいひゃっか | きょうどじょうほうネットワーク
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田原井堰跡 附田原用水路一部、百間の石樋、切抜き

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タイトル
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田原井堰跡 附田原用水路一部、百間の石樋、切抜き

(タワライゼキアト ツケタリタワラヨウスイロイチブ ヒャッケンノイシヒ キリヌキ)

きょうどじょうほうのしゅるい
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もじ

さくせいしゃまたはさくせいだんたい
さくせいしゃまたはさくせいだんたい

岡山県教育庁文化財課

(オカヤマケンキョウイクチョウブンカザイカ)

こうかいしゃまたはこうかいだんたい
こうかいしゃまたはこうかいだんたい

岡山県教育庁文化財課

(オカヤマケンキョウイクチョウブンカザイカ)

きょうどじょうほうのがいよう
きょうどじょうほうのがいよう

吉井川からの農業用水を取水するための堰。吉井川の中流に設けられ、全長550mという規模であった。池田光政の命により、津田永忠が寛文6年(1666)から元禄年間にかけて築造した。ここからは、岡山市東区瀬戸町の砂川に至る田原用水が開削された。田原用水は当初赤磐市徳富の小野田川までであったが、小野田川を石橋「田原用水水路橋:県指定建造物」で超えることにより下流への延伸が可能となった。元禄年間の延伸工事では、赤磐市徳富地区で山麓の岩盤を掘削することが必要となり「百間の石碑」、また、岡山市東区瀬戸町森末では吉井川流域と砂川流域の分水をなす高まりを切り通さなければならず「切抜き」、いずれも難工事であったと伝えられる。田原井堰は300年にわたって機能したが、昭和61年に新田原井堰の完成に伴い撤去され、田原井堰資料館に巻石の一部が移築されている。

ばしょ
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岡山県和気郡和気町田原上

赤磐市徳富

岡山市東区瀬戸町森末

NDCぶんるい
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709:芸術政策.文化財

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