会陽って何だろう − 寺社の紹介(備前地区) 
リストマーク 名称(ヨミ) 西大寺観音院(サイダイジカンノンイン)
リストマーク 所在地 岡山市西大寺上
− 雪化粧した観音院本堂(撮影:1994.2) −
リストマーク 寺社の説明 正式には、「金陵山西大寺観音院」
宗派:高野山真言宗
開基:天平勝宝3(751)年 ※寺伝・縁起等による
本尊:千手観音
リストマーク 当寺の会陽 会陽といえば、西大寺観音院に代表されるほど、当寺は有名である。
起源等 永正7(1510)年に忠阿上人がはじめたといわれ、もともと、牛玉という紙を授ける行事であったものを、現在行われているような、裸の群れに牛玉を木に巻きつけて投げる形にしたといわれている。
現在の
会陽
現在は、毎年2月の第3土曜日に、行われ、午後11時頃から、境内にはだかの群れが集まり始め、午前零時にシンギが投下され、奪い合いが始まる。
なお、平成18(2006)年は、2月18日深夜から19日未明にかけ実施され、参加者は、約9千人、観客は、約3万人であった。
その他 昭和47(1972)年からは、子ども会陽『少年はだか祭り』(大人の会陽の始まる前、午後6時頃から始まる)も行われている。
リストマーク 参考情報 西大寺は、鎌倉時代には、天皇・将軍の祈願所を務めていたと伝わる由緒ある寺院である。
文化財も多く所蔵しており、鎌倉時代の朝鮮鐘と伝えられ、国指定文化財である「銅鐘」や市指定文化財である「狩野永朝絵馬」などがある。
リストマーク ギャラリー
矢印矢印 会陽の風景はこちら
◆最古とみられる牛玉(撮影:1994年)
※この紙が保存されていた厨子には、元和2(1616)年の墨書があった。
 実物の紙は、A4サイズよりも大きい。
◆枝牛玉(撮影:1994年)
※包み紙には、「慶応三」という数字が見え、1867年のものと考えられる。
◆最古とみられるシンギ(撮影:1994年)
※右側は、牛玉で巻いた状態のもの。
 書体が現在と異なっている。
◆シンギ(撮影:1994年)
※T字形の切り込みがある。
 安政3(1856)年という文字が見える。
◆奪い合われ、傷んだ枝牛玉(撮影:1994年)
※右は、枝牛玉を巻いていた牛玉であるが、サイズ は、A5くらいである。
◆少年はだか祭りの宝筒(撮影:1994年)
※この場合は、シンギではなく、宝筒と呼ぶ。
◆一番短いとみられるシンギ(撮影:1994年)
※偽物防止対策としてシンギは、時期により長短が ある。一時期は毎年変えていた。
 なお、写真から、「宝木」の字や昭和15(1940)年 の文字が読み取れる。
◆現在のシンギ(撮影:1994年)
※厨子に安置されている。
  
◆牛玉所大権現(撮影:1994年)
※讃岐の金比羅大権現が、明治の神仏分離時に移され、安置されている。
◆境内にある三重塔(撮影:1994年)
昭和6年・祝主資料一式
(撮影:2008年)
◆寶木と厨子。 ◆寶木の厨子裏書
◆弘法大師坐像 ◆飾り物
◆牛玉御影と開運御守 ◆牛玉宝印紙
※最古の牛玉宝印と書体が異なっている。
◆出納帳に「眞木」との表記あり。
※「昭和六年 祝 眞木 旧一月拾四日 」
◆出納帳に「眞木」・明細に「宝木」と表記あり。
※「宝木」は昭和6年には「シンギ」とは読まれていなかった。
※「三月二日 宝木頂戴ニ付 寺ヘ交渉」
   
◆ 執牛玉(しふごおう) 「シンギ」の原型

牛玉宝印紙を、遠方の参拝者に授与するために、住職の手元にあった木の棒に牛玉宝印紙を巻き付けて投下した。
 ※住職の手元にあった木の棒とは、修正会の牛玉加持作法に使用する執牛玉(しふごおう)であった。
材質はネコヤナギである。
執牛玉は、牛玉宝印紙に宝印を手に取り五ヶ所に押す所作に使用される。
リストマーク 参考文献 『岡山の神社仏閣』 市川 俊介/著 (1978年)
『西大寺会陽 西大寺会陽記録保存報告書』 西大寺会陽記録保存委員会/編集 (1980年)
『岡山の会陽』 三浦叶著 (1985年)
『岡山・西大寺会陽 裸群ひしめく』 山陽新聞 2006年2月19日
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〔岡山県立図書館メディア工房〕
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