会陽って何だろう − トップページ | |
はじめに | ||||||||||||
岡山県内で行われる有名な伝統行事の1つに西大寺観音院〔さいだいじかんのんいん〕のはだか祭りがあります。はだか祭りは、会陽〔えよう〕とも呼ばれますが、会陽と呼ばれる行事は、わずかの例外を除けば、岡山・香川にしか見られないものです。 ここでは、西大寺観音院をはじめ、県内を中心に27の寺社について、その建物や会陽で使われる用具などを中心に紹介をしていきたいと思います。なお、この中には、当時使用された物は伝承されているものの、すでに廃寺となり所在地さえも正確にわからない寺社があることをご了承ください。 この作品により、地域でも有名な行事の1つである会陽について、皆さんが関心をもつ機会となれば幸いです。 |
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− 西大寺観音院の会陽(ビデオ映像はこちら) − | ||||||||||||
会陽関係寺社の紹介 | ||||||||||||
会陽関係寺社リストページへ ※今回ご紹介する関係寺社26ヶ所の一覧へのリンクです。 なお、現在の会陽の実施状況については、こちらの一覧表も参考にしてください。 |
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会陽とは | ||||||||||||
「会陽」とは、修正会〔しゅしょうえ 又は しゅうしょうえ、しゅうせいえ〕という正月に行われる法会〔ほうえ〕の結願行事、つまり終了時に行う行事です。 なお、仏閣に限らず、県内の神社においても、似たような行事が行われているのであわせて紹介していきたいと思います。 次に「会陽」という行事の内容についてですが、もともと、寺の信徒に牛玉〔ごおう〕を授けることからはじまりました。その後、牛玉が、霊験あらたかということで多くの人が求めるようになっていき、やがては、牛玉で包んだシンギと呼ばれる木をはだかになって奪い合うという現在の形に変化していきました。 なお、服を脱ぎ、はだかになった理由としては、ケガの防止などがあります。 「会陽」の語源については、「エエヨウ、エエヨウ」という掛け声からではないか(ただし、この説の信憑性は低い)など、諸説あります。 ちなみに、丸谷氏の調査によると、江戸時代、寛政7(1795)年の文献「備前会養」(佐藤中陵著)には、 『備前岡山の東三里に西大寺と云寺あり。寺の後の山に樫の木に似たる木十六本ありと云。・・・西大寺の「会養」に逢ふ時は、其年、果して吉事ありりと云。尚此辺の人に聞て、其是非をしるべし。』 という記述があり、当時、「会養」が行われていたことを知ることができます。 会陽がもっとも盛んに行われたのは、明治の中頃ですが、現在では、負傷者が出ることの危険性や、趣旨を逸脱したけんか騒ぎを起こすことによる治安の悪化などを理由として、ほとんどが中止され、西大寺観音院を含め、数カ所が残っているだけです。 ※佐藤 中陵〔さとう ちゅうりょう〕 江戸時代の本草(漢方薬)学者。 「備前会養」は、寛政6(1794)年11月に、佐藤中陵が、備中松山藩に招かれ、当地の本草と物産調査のために松山(現在の高梁市)を訪れた際に執筆した。 |
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会陽で使われていた用具等 | ||||||||||||
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共同制作者(資料提供者) | ||||||||||||
丸谷 憲二氏 | ||||||||||||
参考文献 | ||||||||||||
『会陽〜備前西大寺のはだか祭〜』 岡山芸能懇話会編 (1955年) 『密教大辞典』 密教辞典編纂会/編 (1979年) 『西大寺会陽 西大寺会陽記録保存報告書』 西大寺会陽記録保存委員会/編集 (1980年) 『岡山県史 第16巻 民俗U』 岡山県 (1983年) 『岡山の会陽』 三浦叶著 (1985年) 『会陽の意味』 五来重 宗教民俗集成 宗教民俗講義 (1995年) |
制作:岡山県立図書館 著作権は、岡山県に属します。画像等の無断転用は、ご遠慮ください。 ※この作品は、岡山県立図書館メディア工房にて丸谷 憲二氏と共同で制作しました。 ※「西大寺会陽」のビデオ映像は、「デジタル岡山大百科」登録済み情報へのリンクです。ご了承ください。 |
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〔岡山県立図書館メディア工房:平成18(2006)年〕 | |
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