会陽って何だろう − 寺社の紹介(備前地区) 
リストマーク 名称(ヨミ) 金山寺(キンザンジ 又は カナヤマジ)
リストマーク 所在地 岡山市金山寺
− 金山寺山門(撮影:1992年) −
リストマーク 寺社の説明 正式には、「銘金山観音寺遍照院」
宗派:天台宗
開基:天平勝宝元(749)年 ※寺伝・縁起等による
本尊:千手観音
リストマーク 当寺の会陽 岡山県内で毎年、もっとも早い時期に会陽を行う寺社である。
起源等 およそ600年前にはじまったと伝えられる。
当初は、旧正月7日に行われていたが、昭和48(1973)年から2月の第1土曜日の夜に行われるようになった。
現在の
会陽
当日は、境内で約400人〔平成18(2006)年〕の裸姿の男たちが、シンギを求め激しい争奪戦を繰り広げる。
午後9時30分、住職が本堂から5本の副シンギを投げ入れ前哨戦〔ぜんしょうせん〕がスタート、続いて10時30分、熱気に包まれた境内の裸群に陰陽2本のシンギが投下される。
午後11時過ぎ、シンギを獲得した2組の福男がそれを寺に奉納し、その後、改めて世話役が祝主宅へ出向き、行事の終わるのは夜明けころとなる。
その他 シンギは、永禄4(1561)年伯耆の大山寺より豪円が来山し伽藍〔がらん〕の復旧に努めたのを記念して大山寺と金山寺の2枚の牛玉宝印で巻く。
リストマーク 参考情報 金山寺は、岡山市の金山の中腹にある県内有数の名刹。
天平勝宝元(749)年、摩訶芳賀(伝:岡山市馬屋下生誕)が開山と伝えられる。
摩訶芳賀は、天平勝宝二(750)年、ときの孝謙天皇の重病に際して、加持祈祷を行い、天皇は病気平癒され、その功により報恩大師の号を賜った。
大師は、のちに備前四十八ケ寺とよばれる一連の寺院を建立され、その根本道場として栄えたのが金山寺である。
はじめ、妙見宮の峰に、創建されたが、天養元(1144)年に現在地に移転した。
臨済宗の開祖となった栄西も天台僧として、この寺で修業した。栄西は、寺中に遍照院を興し、灌頂堂、護摩堂、宝蔵などを新しく造り、寺を興隆させた。
リストマーク ギャラリー
◆牛玉宝印(撮影:1993年)
※「金山寺」としての牛玉宝印
◆牛玉法印(撮影:1993年)
※「大山寺」としての牛玉宝印
◆シンギ(撮影:1993年)
※昭和56(1981)年とある。住職自ら彫刻。
◆シンギ(撮影:1993年)
※先ほどのシンギの反対側
◆牛玉宝印ほか(撮影:1994年)
※左側の葉を挟んでいるのが枝牛玉
(枝牛玉がはさんでいるのは、シキビの葉)
◆三重塔(撮影:1992年)
リストマーク 参考文献 『備陽国誌』 和田 正尹/ほか編集
『岡山県の会陽一 銘金山金山寺の会陽』 佐藤米司 (1957年)
『岡山の神社仏閣』 市川俊介 (1978年)
『岡山の会陽』 三浦叶著 (1985年)
『宝木争奪 裸群熱く 岡山・金山寺で会陽』 山陽新聞 2006年2月5日付け
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〔岡山県立図書館メディア工房〕
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