会陽って何だろう − 寺社の紹介(美作地区) 
リストマーク 名称(ヨミ) 顕密寺(ケンミツジ)
リストマーク 所在地 美作市尾谷
− 顕密寺山門(撮影:1994年) −
リストマーク 寺社の説明 正式には、「宝輪山顕密寺」
宗派:真言宗
開基:不詳
本尊:十一面観音
リストマーク 当寺の会陽
起源等 承久3(1221)年、後鳥羽上皇が隠岐に流される途中、霊験を得て当寺に祈願された時、その詔により、五大力餅祭りがはじまったと伝えられるが、現在の形になった時期は不明である。
途中、中断等をへて、昭和30(1965)年、旧正月7日に復活されて今日に及んでいる。
現在の
会陽
2月の第1日曜日に、三日前から用意していた餅を使って行事が始まる。
まずは、午前10時から子どもたちによる会陽として、餅をどれくらい長い時間持っていられるかの我慢比べが行われる。
そして、午後1時から、大人の会陽がはじまり、餅を持って歩く距離により競う。
平成18(2006)年は、2月5日に実施された。子どもは、約40人が参加し、53キロの餅をどれくらい長時間もてるかで競った。また、大人は、21人の参加で、総重量約185キロの餅をもってどれくらい運べるかを競い合った。
その他 正式には、「五大力餅会陽」と呼ばれる。
なお、五大力というのは、「不動明王」を始め、「降三世明王」「軍荼利明王」「大威徳明王」「金剛夜叉明王」の5つの明王の総称である。
※京都の醍醐寺にも「五大力さん」という行事があるが、こちらは、持ち上げたままの持続時間を競っている。
リストマーク 参考情報 承久の変に敗れた後鳥羽上皇が隠岐に流された承久3(1221)年に、美作を通過した際、御輿が自然にとどまり、不思議に感じた上皇が土地の者にたずねたところ、由緒がわかり、当時荒廃していた寺の再興を申しつけたという伝説がある。
文化財としては、永徳4(1384)年の銘がある鰐口〔わにぐち〕などがある。
リストマーク ギャラリー
◆力餅会陽の風景(撮影:1994年)
※距離を示す白線が書かれている
◆会陽当日の境内(撮影:1994年)
◆五大力明王堂(撮影:1994年) ◆山名の入った額(撮影:1994年)
リストマーク 参考文献 『古寺巡礼 京都 醍醐寺』 淡交社 (1976年)
『岡山の会陽』 三浦叶著 (1985年)
『英田町史』 英田町史編纂委員会/編集 (1996年)
『大鏡餅抱え前進 美作・顕密寺 力自慢21人 距離を競う』 山陽新聞 2006年2月6日
『53キロの餅を抱え児童ら時間競う 美作・顕密寺』 山陽新聞 2006年2月7日
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〔岡山県立図書館メディア工房〕
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