会陽って何だろう − 寺社の紹介(関連情報) | |
日本三大奇祭(岡山説) |
名称(ヨミ) | 四天王寺(シテンノウジ) | |
所在地 | 大阪府大阪市天王寺区四天王寺 | |
− 四天王寺全景(撮影:1994.1) − |
寺社の説明 |
四天王寺は、推古天皇元年(593)に聖徳太子が建立された日本仏法最初の官寺である。 『日本書紀』に、物部守屋と蘇我馬子の合戦の時、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するため自ら四天王像を彫り 「もし、この戦に勝たせていただけるなら、四天王を安置する寺院を建立しましょう」 と誓願され勝利の後、その誓いを果すために四天王寺を建立された。 聖徳太子は四天王寺を建立するにあたって、「四箇院の制」をとられた。 |
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修正会結願法要 「どやどや」 |
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参考情報 | 中世の四天王寺において最も重要なのは、1285年(弘安8)に南都西大寺中興の祖・叡尊を四天王寺の別当に迎えていることである。 「一遍上人絵伝」・「法然上人行状絵図」・「和漢三才図会」・説教節の「信徳丸」「山椒太夫」等、全て「ハンセン病患者の救済活動」が描かれている。 これは、南都西大寺中興の祖・叡尊の思想・哲学であり、聖徳太子が悲田院を設立した目的であり、その活動を正確に伝承している。 |
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ギャラリー |
◆牛玉宝印(撮影1994年) ※楊枝に牛玉宝印紙を付けている。 |
◆楊枝(撮影1994年) ※楊枝の材質はコリヤナギである。 「どやどや」で奪い合う牛玉杖は楊枝と呼ばれる。戦前の「どやどや」では、裸の中へ数百本の楊枝が投入されていた。 |
◆亀井の井戸(撮影1994年) ※左右に馬頭観音と地蔵菩薩がある。中央に聖徳太子が井戸にお姿を映され、楊枝で自画像を描かれたという楊枝御影が安置されている。 |
◆石神堂の牛王尊(撮影1994年) ※石神堂には牛王尊が祭られている。 |
◆牛王尊(撮影1994年) ※古代インド人にとって、牛は仏教世界を指し示すために、この世に派遣された仏の使者、もしくは仏そのものあった。古代インドのサンスクリット語では、牛のことを「GO ゴー」と言っていたので牛王(牛玉)と書いて「ゴーオウ」と読む。 |
◆かみこ堂(撮影1994年) ※本尊 十一面観音 紙衣仏をお祀りしている紙衣堂がある。紙衣仏を祭っているのは日本では四天王寺のみである。 |
◆紙衣仏(撮影1994年) ※紙の衣を着て修行した羅漢仏である。五百羅漢の一人である。病気回復に功徳があるといわれている。10月10日の衣替え法要は多くの信者で賑わう。 |
◆庚申堂(撮影1994年) ※四天王寺は日本最初の庚申尊出現の地である。庚申堂がある。人間の体には悪い虫が潜むといわれている。庚申の夜この虫が、上帝に人間の罪を奏上するのをさまたげるため、夜中睡眠しないで、仏教音楽や念仏行道を行なうことが、『庚申まいり』 の起源である。 本尊の青面金剛童子は、当病平癒・無病息災・諸願成就の仏として知られている。 |
参考文献 | 『総本山四天王寺 修正会法要結願日 どやどや』 四天王寺パンフレット 「第三巻 宝物記」 『四天王寺史料』 棚橋利光編 清文堂史料叢書 1993 清文堂出版 「摂州四天王寺年中行事」『四天王寺史料』 「四天王寺年中法事記」『四天王寺史料』 『悲田院の沿革と終焉 そのニ〜三の疑問』 久米幸夫 昭和54年 『上方 2号 天王子研究号』1931 『四天王寺八面観Kどやどや』牧村史陽 『四天王寺の鷹 謎の秦氏と物部氏を追って』 谷川健一 2006 河出書房新社 |
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