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田渕屋甚九郎(ひなせ物語) − 田渕屋甚九郎 |
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名称(ヨミ) | 田渕屋甚九郎(タブチヤジンクロウ) |
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− 西念寺境内にある顕彰碑(撮影:平成18年8月) − |
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説明 | 田淵屋甚九郎は、姓は末友、屋号を田淵屋といい、江戸初期から中期にかけて日生を根拠地に廻船業を営んでいた。 なお、日生の人間にとっては、寺社の再建、さらには、疫病流行時などの私財放出による援助などをしてくれた恩人でもある。 甚九郎は、48隻の千石船を所有し、北海道から九州はもとより、フィリッピン・中国・東南アジアまで交易を繰り広げたと伝えられ、数多くの伝説を残している。 ※「甚九郎のニシン」、「甚九郎の阿保丸」、「甚九郎の浴衣」、「香木の下駄」など。詳細は、「日生の昔ばなし」(日生町教育委員会、昭和58年)を参照のこと。 多くの伝説を残した甚九郎ではあるが、備前藩の公式文書には、享保9(1724)年、日生に熱病が流行した際、私財をなげうち村民を救ったことが認められ、藩より米10俵給付されたという記載があるのみである。 この文書により、甚九郎の実在が証明できるのだが、なぜか、ほかに甚九郎関係の記述は残されていない。 この疑問を解く鍵として、新田開発、治水、学問所建設などで、破綻寸前の藩財政を助けるために、甚九郎が藩公認の密貿易を行っていたのではないかという説もある。これは、藩が関わっていたからこそ、公文書から甚九郎関係記述を削除し、密貿易を隠蔽したのではないかとの考えにもとづくものである。 なお、甚九郎にまつわる話としては、岡山藩御用商人で甚九郎と血縁の深い、柿屋呉服店の存在や、甚九郎稲荷、甚九郎橋の伝説があげられる。 ※甚九郎稲荷・甚九郎橋については、佐久間甚九郎という浪人者に由来するという書もある(「岡山市史 社会編(1968年)」など)。特に、甚九郎橋については、田渕屋甚九郎と同時代の書物「和気絹」の中で佐久間甚九郎の話として記載され、こちらが正しいのではないかと考えられる。いずれにしても日生における田渕屋甚九郎の影響力の大きさを示す伝説といえよう。 |
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石碑の発見 | 昭和26(1951)年2月ごろ、青年団機関誌の編集のため、何か参考になるものが無いかと、岸本氏が西念寺庫裡の裏山にある竹やぶの中を散策中、土に3分の2くらい埋没した石碑を発見した。そのことを、寺の住職に伝えたところ、直ちに六角堂(経蔵)に厳重保管となった。 その後、32年が経過した昭和58(1983)年に西念寺本堂の大修復が行われた際、その石碑が、甚九郎の実在を証明する資料(同年2月に日生町教育委員会から町の文化財に指定されている)として、本堂前に安置され、現在に至っている。 |
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ギャラリー |
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** 石碑の要約文 ** |
末友氏宗信は日生の住人にして其の家富豪たり、初の名は甚九郎と称し又、宗四郎とも呼べリ。資性温恭仁慈にして篤信の士なりしかば其の名は近隣に響き、郷土にありては其の尊信を受く。 当時、本村道場の本尊は浄土真宗顕如上人裏書の画像なりき、然るに、寛文年中故ありて破却せられたるを以て延宝三年本宗に復し元禄元年再興を企つ、父宗誓は木佛及び寺号を請ふといえどもいまだその目的を達すること能はず同六年夏漸くにして木佛を許さる。 爾来衆に抽きんじ粉骨砕身宝永五年冬に至りて免許を得て西念寺を号す。 此の年、佛の供田及び灯明料山林などを寄付す、又宝永7年より正徳二年に至る間に於いて本堂及び鐘楼、山門、庫裡を修築するを始め、且つ本村八幡、春日宮、観音堂などを修復し、享保六年には嗣子をして四幅の絵伝を寄進せしむ。 氏は実に篤信の士にして郷土の住民を信仰に導き神社佛閣を修復等奇特の行為あり、名は不朽に伝はりたりといえども天は彼に命を借さず。享保十九年十月二十八日卒す。年七十余歳なりき。 享保十九年甲寅 霜月 日 播州赤府 隠士 教山 識之 (播州赤穂 等力山淨念寺 住職 児嶋教山 識之) |
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※要約文は、昭和26年5月発行日生町青年団機関誌文化部編「潮風」特集の『わが郷土日生町』より引用した。 |
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甚九郎稲荷全景(撮影:平成18年9月) | 社名を書いた扁額(撮影:平成18年9月) |
※岡山市天神町にある。なお、この付近は、昭和45(1970)年に改称されるまでは、「上之町」と呼ばれていた。 |
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参考文献 | 『わが郷土日生町』日生町青年団機関誌文化部編「潮風」(1951年5月発行) 『ぼっこう横丁』岡 長平著 (1965年5月発行) 『岡山市史 社会編』岡山市役所 (1968年9月発行) 『吉備群書集成 地誌部 上』 吉備群書集成刊行会編 (1970年1月発行) 『日生町誌』 吉形士郎編 (1972年11月発行) 『岡山市の地名』 岡山市地名研究会著 (1989年4月発行) 『日生を歩く』 前川満著 (2002年7月発行) |
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