明治時代の印刷物 − 文明開化の頃のデザイン − | ||||
参考:建部(たけべ)陣屋について | ||||
(「建部町史 通史編」より) |
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* 説明 | ||||
池田光政移封後、国境の街道筋を警備するために慶安3(1650)年に設けられた。また、陣屋(茶屋ともいう)の周辺には武家屋敷や町屋も設けられた。 陣屋は、一段高いところに設けられ、周囲には水堀を巡らしていた。その東側には侍屋敷が置かれ、周囲をやぶで囲み、北と西に門があった。一時は士分で22人、足軽格以下49人が居住していた記録が残されている。侍屋敷の東側には町屋との境を示す大手門が設けられ、この門の東側が町屋となった。 町屋は、建部新町と称され、下の横町、下の町、上の町、上の横町と呼ばれた。また、町屋は、津山往来に沿って形成され、さらに旭川にも接し、水陸の両運に向いていた。その構成は、商家が主体で酒造、しょう油、呉服屋などがあった。 明治12(1879)年に主家は岡山市に転じた上、明治18(1885)年の県道工事で陣屋周辺の堀や石材が除かれるなどしたため、陣屋と武家屋敷の往時の面影はない。わずかに町屋のたたずまいが当時をしのばせている。 |
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※参考文献 | ||||
『岡山県御津郡誌』 御津郡教育会 (1923) 『岡山県大百科事典 下巻』 山陽新聞社 (1979) 『建部町史 地区誌・資料編』 建部町 (1991) 『建部町史 通史編』 建部町 (1995) |
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