想いでの学び舎(ラジコンヘリによる空撮記録) − トップページ | |
はじめに | ||||||||
記憶は、年を重ねるごとに深まることがあります。 幼年期や少年時代をすごした学校生活の想いでとあらば、なおさらでしょう。 しかし、時代の移り変わりの中、残念ながら、消えていった学び舎も多くあります。 今回ご紹介する写真の多くは、ラジコンヘリを使って上空から撮影したものであり、校舎だけでなく、その周辺も記録されています。かつて通った懐かしい道などもご覧いただけ、いっそう想いも深まるのではないでしょうか。 これらの写真から、懐かしい母校での生活を振り返り、心の故郷としていただければ幸いです。 |
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学校制度について | ||||||||
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学校の統廃合《小学校を中心に》 | ||||||||
学校の統廃合には児童数の増減が大きく作用しました。岡山県下の在籍児童のピークは第一次ベビーブームに誕生した赤ん坊が小学校に入学する年齢になった頃で、1958(昭和33)年の約24万人でした。しかしその後は減少に転じ、1973(昭和48)年には15万人を割り込むまでになりました。 しかし、それにもまして学校に大きな影響を与えたのが高度成長に伴う、過疎・過密でした。高度成長期の1960〜1970年代の学校数をみると、1955(昭和30)年に611(分校83)あった公立小学校は、20年後の1975(昭和50)年には495(分校32)にまで減少します。その大部分は県の中・北部の小学校の統廃合でした。一方、県南部では1965(昭和40)年代から1975(昭和50)年にかけて10校の小学校が新設されました。しかし県南部の人口増も細かく見ると人口増は市郊外に偏っており、市中心部では1980年代以降、逆に人口が減少するというドーナツ化現象が起こり始めました。この結果、岡山市内中心部でも小学校の統廃合が行われることになりました。 今回のコンテンツでは閉校となった150校をこえる小学校、幼稚園や中学校の学舎の一部を紹介していきます。 |
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その他 | ||||||||
・校名(園名)は、閉校(閉園)当時の名称です。 ・「学校に関する情報(沿革等)」欄については、昭和16(1941)年から昭和21(1946)年までの間、一律的に小学校を「国民学校」と称したことなど一部省略しているものがあります。ご了承ください。 ・ラジコンヘリコプターによる空撮写真のほか、一部地上撮影等の写真を使用しております。 |
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お礼 | ||||||||
このコンテンツは、各市町村の教育委員会、統合校のご協力で作成することができました。 お忙しい中、資料をご準備くださいました皆さまにお礼申し上げます。 |
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撮影及び文章 | ||||||||
堀家 純一氏 | ||||||||
参考文献 | ||||||||
『岡山県教育史 中巻』岡山県教育会 (1942年) 『岡山県教育史 下巻』岡山県教育史刊行会 (1961年) 『学制百年史』文部省 (1972年) 『岡山県産業教育百年史』岡山県産業教育振興会他 (1986年) 『岡山県教育史(昭和三十一年〜昭和五十年)』 岡山県教育委員会 (1991年) 『岡山県教育史(昭和五十一年〜平成七年)』 岡山県教育委員会 (2006年) |
制作:岡山県立図書館 著作権は、岡山県に属します。画像等の無断転用は、ご遠慮ください。 ※このコンテンツは、岡山県立図書館メディア工房にて堀家純一氏と共同で制作しました。 |
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〔岡山県立図書館メディア工房〕 | |