吉備津彦神社の社殿は永禄9年(1566)、日蓮宗への改宗を迫る金川城主松田左近将監によってことごとく焼かれました。その後元禄10年(1697)池田綱政によって再建されました。 昭和5年(1930)、不慮の火災で社殿のほとんどが無くなりましたが、幸い本殿は焼失を免れました。本殿は前方の屋根が大きく流れ、正面の柱間が3つの「三間社流造り」の典型を示しています。屋根は檜皮葺、花崗岩の亀腹を基壇にケヤキ材の白木造りです。蟇股中央に菊花紋が入れられ、内部は外陣と内陣に分かれ、内陣中央に祭神がまつられています。
四季折々の景色に映える社殿は西国一といわれています。 |
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