1)概略
備前一宮と呼ばれ、地名にも一宮が残るように吉備津彦神社は備前の総氏神として親しまれ敬われてきました。岡山市から総社市に向かい、さらには高梁・新見・山陰を結ぶ国道180号は総社までは古代の山陽道と重なるが、岡山市を過ぎ最初に顕れる神域は吉備津彦神社です。背後の神体山・吉備の中山や、社前の広大な神池に磐座(いわくら=神が宿った場所)を残し、夏至の日の出の方向に一直線に配置された社殿を持つ備前国の総鎮守には、古代祭祀の面影が今も色濃くただよっています。
祭神は大吉備津彦命。吉備津彦命は孝霊天皇の皇子で、四道将軍の一人として御弟の稚武彦命(わかたけひこのみこと)とともに吉備国を平定されたと言われています。
中世には武家や庶民の信仰が厚かったが、日蓮宗への改宗を迫る金川城主の松田左近将監によって社殿がことごとく焼かれました。江戸時代に入ると、岡山藩主池田氏は崇敬厚く、三百石の社領を寄進、元禄10年(1697)には綱政公によって社殿が再建されました。
昭和5年(1930)に不慮の火災で、本殿・随神門を除いて焼失し、現在の社殿は昭和11年(1936)の再建です。
2)主な他の祭祀
・磐座祭(5月)
・御田植祭(8月)
・神迎え・神送りの神事(10月) |
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