吉備津彦神社の流鏑馬神事



1)流鏑馬神事について
  流鏑馬神事は毎年10月の第三日曜日・秋の例大祭に行われます。古くは「九月之御まつり」といい 9月の申の日に行われていました。吉備津彦神社の流鏑馬神事の歴史は古く、康永元年(1324年) の文書に国主が馬の費用を出した記録があり、少なくともその当時から行われていたことが分かります。馬を伴った行列が神池を回り、綾桧笠(あやひがさ)を被り弓篭手(ゆてご)を身に付けた直垂(ひたたれ)姿や白装束の武士が馬を走らせながら二つの的を射る、まことに勇壮な神事です。


白装束の写真 直垂姿の写真
白装束 直垂姿

小早川牧場から派遣された馬たち

馬追いの画像
            馬追いの儀式
馬を伴った行列が神池を回り、白い衣を着た近隣の子どもたちが総代に連れられて馬の後を歩く儀式



2)二つの的について
  流鏑馬の儀式は、暑熱を防ぎ、大洪水の被害を防ぐ神事として、平安時代から始められました。一つの的は「鶴島神社」に向かっており、暑熱に対する人々の災難を防ぎ、もう一つの的は 「亀島神社」に向かっており、洪水から人々を守る神儀が、矢を射ることによって古くから行われていました。
 「流鏑馬」の的は、日輪と大地(天・地)の理を象徴するものです。 


鶴島神社の写真 亀島神社の写真
鶴島神社 亀島神社



3)「鶴島」と「亀島」
  正面の鳥居を抜け本殿に向かう両脇には神池があり、右側に「鶴島」左側に「亀島」があります。古代信仰の原点は秀麗な神体山です。原始の信仰は山が御神体であり、それを拝するために麓に拝殿がつくられました。吉備津彦神社の場合は吉備の中山です。山上には神の依代(よりしろ)である磐座(いわくら)がありますが、神池の亀島にも石を円形にめぐらした磐座があります。神が里に降りたときに鎮座される里宮と思われます。「鶴島」「亀島」の名は後に中国の蓬莱・神仙思想がもたらされてからの命名であろうとされています。造園家で庭園研究家であった故重森三鈴氏はこの池を詳しく調査し、元禄時代の手直しはあるが、平安時代の作庭と認められると著書に記しているそうです。


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参考文献:「備前一宮 吉備津彦神社
       発行人 吉備津彦神社
       著者  宮司 守分 清身
      
       週刊「神社紀行36」2003年7月発行 ”吉備津神社・吉備津彦神社”
       発行  学習研究社