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◆文字 |
労働科学研究所 |
都窪郡万寿村倉敷紡績株式会社万寿工場内に在り一般産業界に於ける人
間活動の合理化に資せむとするものにして実に本邦異数の施設なり「労
働科学研究」「日本社会衛生年鑑」等を発行す
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◆説明 |
「労働科学研究所」について |
倉敷紡績の経営者大原孫三郎は社会問題・労働問題を考えるために大原社会問題研究所を設立した。研究所の労働衛生部門を分離し、倉敷紡績万寿工場にて保健研究をすることとなった。これを母体とし、大正10(1921)年7月に生理学・心理学・衛生学・栄養学などの各研究室を持った建物を新築した。これが倉敷労働科学研究所である。
研究の成果では、代用食品として有名になった労研饅頭(まんとう)などがあり、全国的にも注目されるところとなった。大正15(1926)年の行啓でも皇太子(後の昭和天皇)が万寿工場および研究所を視察している。
その後、昭和11(1936)年に研究の場を倉敷から東京へ移し、倉敷労働科学研究所としては解散、現在の財団法人労働科学研究所の母体となった。
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◆参考文献 |
「労働科学研究所」について |
『回顧六十五年』 倉敷紡績株式会社社史編纂委員編 倉敷紡績 1953
『倉敷紡績百年史』 倉敷紡績編 倉敷紡績 1988
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