大正15年5月 岡山市写真帖
岡山病院・救護所
前の写真へ    画像一覧    次の写真へ
◆説明 「岡山病院」
明治12(1879)年岡山にはコレラがはやり、これを契機に明治19(1886)年6月、上道郡網浜村(現、岡山市網浜)に県立避病院が開院。同27(1894)年3月より岡山市が使用するようになった。その後、県から岡山市が譲受け、大正2(1913)年4月には岡山市立網浜病院と改称した。
大正15(1926)年4月、岡山市島田に移転開院、市立岡山病院と改称した。
昭和20(1945)年6月29日の空襲によって焼失。

「救護所」
従来、旅行病人などは私設川口療養所に委託していたが、大正11(1922)年岡山市八番町(現、岡山法務合同庁舎)に岡山救護所を開所した。
その後、患者の増加にともない岡山市北方にも救護所を建築した。
救護所とは別に、昭和3(1928)年同地に岡山診療所を開設した。翌4(1929)年には天瀬診療所(岡山市天瀬)を置いたので、岡山診療所を番町診療所と改称した。
昭和6(1931)年、八番町の岡山救護所は番町診療所の拡張にあてるとともに救護事務を北方の救護所へ移転し、岡山友楽園と改称した。

◆参考文献 「岡山病院」について
『岡山市百年史 上巻』 岡山市百年史編さん委員会編 岡山市 1989
『岡山市百年史 下巻』 岡山市百年史編さん委員会編 岡山市 1991
『岡山市史 第6巻』 岡山市役所編 明治文献 1975

「救護所」について
『岡山市史 第6巻』 岡山市役所編 明治文献 1975
『岡山市百年史 上巻』 岡山市百年史編さん委員会編 岡山市 1989

トップページ    −    写真の一覧
 〔岡山県立図書館メディア工房〕
《ご参考》デジタル岡山大百科で関連情報を検索する。