大正15年5月 岡山市写真帖
岡山医科大学・附属病院
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◆説明 「岡山医科大学」
岡山医科大学(現、岡山大学医学部)の沿革は県内の学校でも有数の複雑さを持つ。
明治3(1870)年4月、岡山藩は上道郡門田村操山のふもと利光寺跡に医学館を設け、医学教育を開始する。明治5(1872)年から医学所、医学教場と相次いで名称を変更し、明治13(1880)年には岡山県医学校と改称している。この間、場所も岡山中之町、栄町、弓之町と変わり、明治17(1884)年には内山下西ノ丸へと移転している。
明治19(1886)年の中学校令により明治21(1888)年4月から第三高等中学校医学部、明治27(1894)年の高等学校令により第三高等学校医学部、明治34(1901)年には岡山医学専門学校となり大正10(1921)年鹿田の新校舎に移転、大正11(1922)年には岡山医科大学となっている。

「附属医院」
明治3(1870)年4月、岡山藩は上道郡門田村操山のふもと利光寺跡に医学館、6月には隣接する台崇寺に大病院を開設した。明治4(1871)年7月には中之町(現、岡山市表町1丁目)に小病院を開設。
明治5(1872)年2月に医学館、大病院は廃止。小病院のみとなるも、4月には規模を縮小しての再興となった。
その後明治6(1873)年8月から、岡山栄町の町会所跡に移った。名称は会社病院、岡山県病院、岡山県公立病院と相次いで改称する。明治12(1879)年3月、岡山県病院と改称し弓之町に移転。翌13(1880)年には弓之町旧県庁跡にて開院。
明治24(1891)年7月、内山下の第三高等中学校医学部敷地内に移転。
現在の地(岡山市鹿田)に岡山県病院が新築落成なったのは大正10(1921)年3月23日である。同年4月1日には国に移管され岡山医学専門学校附属医院となった。4月15日には岡山医学専門学校が同地の新校舎に移転した。

◆参考文献 「岡山医科大学」について
『岡山大学医学部百年史』 岡山大学医学部百年史編集委員会編 岡山大学医学部創立百周年記念会 1972
『岡山県教育史 上巻』 岡山県教育会著 山陽新聞社 1981
『岡山県の教育史』 ひろたまさき、倉地克直編著 思文閣出版 1988

「附属医院」について
『岡山大学医学部百年史』 岡山大学医学部百年史編集委員会編 岡山大学医学部創立百周年記念会 1972
『岡山県教育史 上巻』 岡山県教育会著 山陽新聞社 1981
『岡山県の教育史』 ひろたまさき、倉地克直編著 思文閣出版 1988

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