明治31(1898)年12月の第13回帝国議会で高等学校増設の議がおこり、議決された。
岡山・広島・香川・愛知各県は学校誘致の運動を展開したが、中でも岡山・広島両県の争奪戦は激しかった。官民あげての争奪戦に、衆議院の廊下で両県選出の代議士同士が格闘する一場面も見られた。
岡山誘致が決定され、7番目の旧制高等学校として岡山市国富(現、県立朝日高等学校)に設立、明治33(1900)年9月に開校式を挙行した。
昭和25(1950)年の新学制への移行により50年の歴史を閉じたが、その間全国から1万2千余人が集まり、その中には出隆(いでたかし)、仁科芳雄、中国の郭沫若(かくまつじゃく)などが名を連ねている。
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