大正15年5月 岡山市写真帖
第六高等学校
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◆説明 「第六高等学校」
明治31(1898)年12月の第13回帝国議会で高等学校増設の議がおこり、議決された。
岡山・広島・香川・愛知各県は学校誘致の運動を展開したが、中でも岡山・広島両県の争奪戦は激しかった。官民あげての争奪戦に、衆議院の廊下で両県選出の代議士同士が格闘する一場面も見られた。
岡山誘致が決定され、7番目の旧制高等学校として岡山市国富(現、県立朝日高等学校)に設立、明治33(1900)年9月に開校式を挙行した。
昭和25(1950)年の新学制への移行により50年の歴史を閉じたが、その間全国から1万2千余人が集まり、その中には出隆(いでたかし)、仁科芳雄、中国の郭沫若(かくまつじゃく)などが名を連ねている。

◆参考文献 「第六高等学校」について
『六高ものがたり』 小林宏行著 日本文教出版 1969
『六稜外史』 田中民人編 財界評論社 1965
『六稜史筆』 山岡望著 内田老鶴圃新社 1975
『岡山市史 宗教教育編』 岡山市史編集委員会編 岡山市 1968

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 〔岡山県立図書館メディア工房〕
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