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◆説明 |
「岡山県師範学校」 |
岡山県師範学校は明治7(1874)年6月、岡山城西丸跡(旧、内山下小学校)に設けられた温知学校(小学校教員養成所)が始まりである。翌8(1875)年11月に旧藩学校(現、岡山市蕃山町)に移転した。
明治9(1876)年には福山師範学校を合併して岡山県師範学校と改称した。
その後、明治43(1910)年岡山市門田に校舎を移転した。
昭和18(1943)年には岡山県女子師範学校と合併し、岡山師範学校男子部となった。
現在の岡山大学教育学部の母体となるなど、岡山県の小学校教育を支える存在であった。
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「岡山県第一中学校」 |
明治7(1874)年に温知学校予科にて生徒を受け入れた。その後、温知学校とともに旧藩学校(現、岡山市蕃山町)に移転し、明治12(1879)年2月には岡山中学校となる。
明治18(1885)年3月、温知学校のあとの岡山県師範学校と合併し岡山学校中学科となるが、翌19(1886)8月には岡山県尋常中学校となる。
明治28(1895)年4月に岡山県岡山尋常中学校と改称し、翌29(1896)年には岡山城城郭内にて新校舎落成式を行った。
明治32(1899)年4月に岡山県岡山中学校、同34(1901)年5月に岡山県立岡山中学校、大正9(1920)年4月に岡山県岡山中学校、翌10(1921)年3月に岡山県第一岡山中学校と改称した。
昭和23(1948)年4月、岡山県立岡山第一高等学校と改称、翌24(1949)年8月には岡山第二女子高等学校と合併して岡山朝日高等学校となった。
昭和28(1953)年からは旧第六高等学校のあった岡山市国富の校舎で全ての生徒を受け入れるようになった。
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「岡山県女子師範学校」 |
岡山県女子師範学校は明治9(1876)年10月、岡山県師範学校の付属として岡山市東中山下に設置された。しかし、翌10(1877)年2月には閉鎖となる。わずか数ヶ月で閉鎖となった理由は明らかでないが、女生徒の応募自体がほとんどなかったからではないかと考えられる。
明治35(1902)年に岡山市大供(岡山高等女学校内)に再設置されるまで、小学校女教員の養成は師範学校の女子部で行われていた。
明治44(1911)年、岡山市西中山下に移転。昭和18(1943)年、岡山県師範学校と合併し岡山師範学校女子部となった。
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◆参考文献 |
「岡山県師範学校」について |
『岡山県教育史 中巻』 岡山県教育会著 山陽新聞社 1981
『岡山県教育史 下巻』 岡山県教育会著 山陽新聞社 1981
『創立五十年記念』 岡山県師範学校同窓会 1925
『回想 岡山師範学校』 岡山師範学校記念碑建立委員会 1976
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「岡山県第一中学校」について |
『岡山朝日高等学校の生い立ち 戦前篇』 岡山朝日高等学校 2004
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「岡山県女子師範学校」について |
『岡山県教育史 中巻』 岡山県教育会著 山陽新聞社 1981
『岡山県教育史 下巻』 岡山県教育会著 山陽新聞社 1981
『岡山市史 宗教教育編』 岡山市史編集委員会編 岡山市 1968
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〔岡山県立図書館メディア工房〕 |
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