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◆説明 |
「岡山県岡山高等女学校」 |
明治33(1900)年4月、岡山市磨屋町岡山寺光珍寺内に岡山県高等女学校として設立。
明治34(1901)年5月に岡山県立高等女学校、翌35(1902)年岡山県立岡山高等女学校と改称し女子師範学校を併設、岡山市大供に新校舎を竣工した。その後、女子師範学校は明治44(1911)年に分離、移転。
大正9(1920)年、岡山県岡山高等女学校と改称。この年、人見絹枝が入学している。
昭和11(1936)年4月、岡山県第一岡山高等女学校と改称、このころより岡山市浜への移転が計画され昭和14(1939)年3月に新校舎への移転が始まる。
昭和23(1948)年4月に岡山県立岡山第一女子高等学校と改称、翌24(1949)年8月には岡山県立岡山第二高等学校と合併し岡山県立岡山操山高等学校となる。
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「就実高等女学校」 |
明治37(1904)年4月、質実有用の女子を教育する趣旨の下に私立岡山実科女学校として開校。
明治41(1908)年4月には私立岡山実科高等女学校を併設し、従来の実科女学校は技芸専門として存置された。
明治44(1911)年10月には実科女学校はそのままに、私立岡山実科高等女学校は私立就実高等女学校と改称した。このときの校名変更は、時の文部大臣小松原英太郎が学校訪問の際に「去華就実」と揮毫したことに由来する。
大正8(1919)年9月に就実高等女学校、岡山実科女学校と改称。
昭和17(1942)年3月、実科女学校は廃止となり、同年6月に岡山県就実高等女学校と改称した。
昭和22(1947)年4月より岡山県就実中学校を併設、翌23(1948)年4月には高等女学校を改組し岡山県就実高等学校と改称した。
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「山陽高等女学校」 |
明治19(1886)年10月、岡山東中山下に山陽英和女学校として開校。翌20(1887)年9月には上道郡門田村に移転。
明治25(1892)年9月に山陽女学校と改称、同31(1898)年
10月に山陽高等女学校に改組となる。
明治41(1908)年に上代淑(かじろよし)が6代目校長に就任。以後、昭和34(1959)年まで50年以上にわたり「愛と奉仕と感謝」に基づいた教育を行った。
昭和22(1947)年4月に併設中学校が発足、翌23(1948)年4月には山陽女子高等学校、山陽中学校とそれぞれ改称した。
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◆参考文献 |
「岡山県岡山高等女学校」について |
『創立百年史』 岡山操山高等学校 1999
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「就実高等女学校」について |
『岡山市史 宗教教育編』 岡山市史編集委員会編 岡山市 1968
『就実学園百年史』 就実学園 2005
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「山陽高等女学校」について |
『岡山市史 宗教教育編』 岡山市史編集委員会編 岡山市 1968
『山陽学園百年史』 山陽学園 1986
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〔岡山県立図書館メディア工房〕 |
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