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◆説明 |
「二日市魚市場 ・京橋魚市場」 |
魚市場は、旭川にかかる京橋を境に上の浜、下の浜に分かれていた。上の浜は川崎町(京橋)魚市場、下の浜は二日市町魚市場に相当する。
明治維新後没落した魚問屋が多く、衰微の傾向にあった魚市場だが、明治29(1896)年に至り魚市場組織化の動きが起こった。
昭和29(1954)年ころの集荷量をみると全県下の需要の7割をまかなっており、岡山市はもちろん津山市、吉備・川上・上房各郡などへも配給されていた。
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「旭東公設市場」 |
大正7(1918)年7月、米価騰貴により各地に米騒動が頻発した。岡山市は当面の対策として米価調済会を組織し、白米の廉売を実施した。
さらに物価暴騰による生活の不安を緩和するため、生活必需品も低価にて供給するため、大正8(1919)年8月野田屋町、10月中屋敷、11月天瀬に公設市場を開設した。
大正14(1925)年10月、門田屋敷に旭東公設市場を新設し、天瀬・中屋敷両市場を閉鎖した。
その後、利用者の増加にともない、各地に日用品の施設市場も見られるようになった。
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◆参考文献 |
「二日市魚市場 ・京橋魚市場」について |
『岡山市史 第6巻』 岡山市役所編 明治文献 1975
『岡山市史 産業経済編』 岡山市史編集委員会編 岡山市 1966
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「旭東公設市場」について |
『岡山市史 第6巻』 岡山市役所編 明治文献 1975
『岡山市百年史 上巻』 岡山市百年史編さん委員会編 岡山市 1989
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〔岡山県立図書館メディア工房〕 |
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