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◆説明 |
「玉井宮」 |
児島郡小串村光明崎にあった社を応徳2(1085)年、上道郡三棹山の幣立山(現在地)に遷座し玉井宮と称したのを起源とする。
正保元(1644)年、岡山藩主池田光政は徳川家康を祀る東照宮を、玉井宮の地に造営することを幕府に請い、翌2(1645)年神霊を迎えた。これにより、玉井宮はそれまでの地より南に移築された。
正保3(1646)年から慶応3(1867)年ごろまで続いた東照宮の祭礼は俗に「権現祭り」ともいわれ、岡山では最大の年中行事であった。祭礼の行列は先頭が御旅所(現、岡山市兵団)に着いたころ、後尾はまだ東山にいたと言われるほどの規模であった。
明治14(1881)年、玉井宮と東照宮は合祀され、玉井宮・東照宮と併称されるに至った。社殿は旧東照宮社殿を用い、旧玉井宮の本殿は現在の神饌所になっている。
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「岡山招魂社」 |
岡山県出身並びに縁故のある殉国の英霊を祀る、現在の岡山県護国神社。
明治2(1869)年4月、岡山藩主池田章政が維新の際奥羽、函館両戦争に出陣して戦死した藩士の招魂祭を執行した。同年6月門田幣立山に社殿と碑石を建て、両戦争の戦死者55柱を祀ったのが招魂社の起源である。
明治7(1874)年官祭招魂社となり、昭和14(1939)年4月1日岡山県護国神社と改称した。この間、昭和21(1946)年11月29日から同27(1952)年7月3日までは操山神社と改称していた。これは護国神社の名前では駐留軍の抑圧が厳しいため、社号を変更して神社の維持を図る目的からである。
創立100周年を迎えた昭和44(1969)年5月4日現在で54,102柱が祀られている。
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「春日神社」 |
岡山市七日市にある神社。祭神に天児屋根命、相殿に武甕槌命、姫大神、経津主命、菅原神を祀る。
はじめは春日大明神と称し、明治2(1869)年に春日神社と改称。
『吉備温故秘録』によると、元暦年中(1184〜1185)に佐々木三郎盛綱が戦功を祈り白羽の矢を献じたとある。
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◆参考文献 |
「玉井宮」について |
『玉井宮東照宮誌』 玉井宮東照宮誌編纂委員会編 玉井宮東照宮 1983
『岡山東照宮祭礼行列図』 腮鬚長著 日本文教出版 1983
『岡山市史 宗教教育編』 岡山市史編集委員会編 岡山市 1968
『岡山市史 第5巻』 岡山市役所編 明治文献 1975
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「岡山招魂社」について |
『岡山県護国神社百年史』 巌津政右衛門編 岡山県護国神社社務所 1976
『岡山県護国神社造営誌』 岡山県護国神社 1954
『岡山市史 宗教教育編』 岡山市史編集委員会編 岡山市 1968
『岡山市史 第5巻』 岡山市役所編 明治文献 1975
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「春日神社」について |
『岡山市史 宗教教育編』 岡山市史編集委員会編 岡山市 1968
『岡山市史 第5巻』 岡山市役所編 明治文献 1975
『吉備群書集成 第7輯』(「吉備温故秘録」) 吉備群書集成刊行会 1931
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