大正15年5月 岡山市写真帖
玉井宮・岡山招魂社・春日神社
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◆説明 「玉井宮」
児島郡小串村光明崎にあった社を応徳2(1085)年、上道郡三棹山の幣立山(現在地)に遷座し玉井宮と称したのを起源とする。
正保元(1644)年、岡山藩主池田光政は徳川家康を祀る東照宮を、玉井宮の地に造営することを幕府に請い、翌2(1645)年神霊を迎えた。これにより、玉井宮はそれまでの地より南に移築された。
正保3(1646)年から慶応3(1867)年ごろまで続いた東照宮の祭礼は俗に「権現祭り」ともいわれ、岡山では最大の年中行事であった。祭礼の行列は先頭が御旅所(現、岡山市兵団)に着いたころ、後尾はまだ東山にいたと言われるほどの規模であった。
明治14(1881)年、玉井宮と東照宮は合祀され、玉井宮・東照宮と併称されるに至った。社殿は旧東照宮社殿を用い、旧玉井宮の本殿は現在の神饌所になっている。

「岡山招魂社」
岡山県出身並びに縁故のある殉国の英霊を祀る、現在の岡山県護国神社。
明治2(1869)年4月、岡山藩主池田章政が維新の際奥羽、函館両戦争に出陣して戦死した藩士の招魂祭を執行した。同年6月門田幣立山に社殿と碑石を建て、両戦争の戦死者55柱を祀ったのが招魂社の起源である。
明治7(1874)年官祭招魂社となり、昭和14(1939)年4月1日岡山県護国神社と改称した。この間、昭和21(1946)年11月29日から同27(1952)年7月3日までは操山神社と改称していた。これは護国神社の名前では駐留軍の抑圧が厳しいため、社号を変更して神社の維持を図る目的からである。
創立100周年を迎えた昭和44(1969)年5月4日現在で54,102柱が祀られている。

「春日神社」
岡山市七日市にある神社。祭神に天児屋根命、相殿に武甕槌命、姫大神、経津主命、菅原神を祀る。
はじめは春日大明神と称し、明治2(1869)年に春日神社と改称。
『吉備温故秘録』によると、元暦年中(1184〜1185)に佐々木三郎盛綱が戦功を祈り白羽の矢を献じたとある。

◆参考文献 「玉井宮」について
『玉井宮東照宮誌』 玉井宮東照宮誌編纂委員会編 玉井宮東照宮 1983
『岡山東照宮祭礼行列図』 腮鬚長著 日本文教出版 1983
『岡山市史 宗教教育編』 岡山市史編集委員会編 岡山市 1968
『岡山市史 第5巻』 岡山市役所編 明治文献 1975

「岡山招魂社」について
『岡山県護国神社百年史』 巌津政右衛門編 岡山県護国神社社務所 1976
『岡山県護国神社造営誌』 岡山県護国神社 1954
『岡山市史 宗教教育編』 岡山市史編集委員会編 岡山市 1968
『岡山市史 第5巻』 岡山市役所編 明治文献 1975

「春日神社」について
『岡山市史 宗教教育編』 岡山市史編集委員会編 岡山市 1968
『岡山市史 第5巻』 岡山市役所編 明治文献 1975
『吉備群書集成 第7輯』(「吉備温故秘録」) 吉備群書集成刊行会 1931

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