大正15年5月 岡山市写真帖 | |
名勝舊蹟(旧跡) 2 | |
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◆文字 | 名勝舊蹟(旧跡) 2 |
端門田に在り。この園一名を偕楽園と称す。操山■中の南西部一 帯の地を以て造設せられ、園域甚だ広く数万坪を算す。園中遠望 の景に富み、殊に春花秋月の眺め最も妙にして四季の遊観常に飽 かざるべし。 ▲奥市公園 東山公園の東部に一区画を限りて、別に奥市公園 の名を付せり。園内に官祭招魂社を祀り、その付近西南方山腹に は無数の桜、楓樹等の裁植あり。春望秋観甚だ佳なり。 (ろ)城址 ▲岡山城址 市の中央、内山下の東北隔に在り。この城一に烏 城と称す。天正年間宇喜多直家の金光宗高を滅し、此の地を略有 して移居するに及び、大に土木を興して築造を企て、其の子秀家遺 志を継ぎ終に完成せし者にして、其の後相続いて小早川氏、池田 氏の居城と為り、明治維新に及ぶ。今その城址に第一岡山中学校 を建つ。今尚ほ天守閣を存し本市中央部の一偉観として称せらる ▲笹ヶ迫城址 津島字西坂に鳥山々上に存す。昔、妹尾兼康此 処に築城し、木曽義仲の攻撃軍を防ぎし所なり。その後田中信高 なるもの足利氏の命を奉じ、来りて此城に居りしと云ふ。 ▲富山城址 万成に在り。松田氏正平年間より永禄年間に至る まで、相継いで居城せし処なり。 (は)墳墓と名蹟 ▲小早川秀秋卿の墓 三番町瑞雲寺境内に在り。 ▲法鮮墓 法鮮は宇喜多秀家卿の生母阿仙夫人の法謚にして其墓 門田の塔の山の丘上に在り。 ▲荘元祐の墓 国富第六高等学校の北方田圃の畦畔に在り。 |
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