藤戸合戦の古戦場をたずねて − 源平合戦ゆかりの地 | |
名称(ヨミ) | 経ヶ島(キョウガシマ) | |
場所 | 倉敷市天城 | |
− 経ヶ島(撮影:堀家純一) − |
説明 | 藤戸寺の北東、天城小学校体育館の西隣にある。 源平藤戸合戦の軍功により、児島の領主となり入国した佐々木盛綱は、藤戸寺で大法要を営んだといわれ、そのとき書写した経をこの小島に埋めて経塚を建てたことから経ヶ島と呼ばれるようになったという。 もともとは、藤戸寺の境内であった。 経ヶ島の頂上には、源平両軍の戦没者の霊を慰める高さ140cmの宝筐印塔と若い浦の男の霊を祀る供養塔(風化が激しく上部は欠落している。また、塔身の断面は八角形)があり、塚の下には、備前焼のカメが埋めてあるといわれる。 |
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参考情報 | 西ふもとには、弁財天の小さな社があるが、これは、下津井城廃城により、天城にうつった池田由成により、寛永16(1639)年に勧請されたものである。 また、この島は、古歌(続後撰集)にも詠まれているので紹介しておく。 『夕されは汐風さむみ浪間より見ゆる小島に雪は降りつつ』 |
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ギャラリー |
祠の裏側にあるのぼり口 (撮影:堀家純一) ※危険防止のため、鎖がある |
頂上にある経塚(右)と漁塚 (撮影:堀家純一) |
参考文献 | 『倉敷市史』 永山 卯三郎/編 (1964年) 『観光案内 倉敷 総集編・前編』 安原 秀魁/編 (1977年) 171p 『藤戸 岡山文庫』 原 三正/編著 (1991年) 173p 『倉敷市文化財総合調査報告 第2集』 倉敷市文化財総合調査委員会/編集 (2003年) 123p |
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