藤戸合戦の古戦場をたずねて − 源平合戦ゆかりの地 | |
名称(ヨミ) | 浮州岩跡(ウキスイワアト) | |
場所 | 倉敷市粒江 | |
− 浮州岩跡(撮影:川元一夫) − |
説明 | 藤戸寺の西方約600mの田んぼの中にある約20mの円形の沼地。 かつては、藤戸海峡の中央に位置し、潮の満ち引きにかかわらず、大きな岩が出ていたことから名付けられたという。 源平藤戸合戦の際、佐々木盛綱に殺された浦の男が流れ着いた場所ともいわれている。 |
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参考情報 | この地にあった浮州岩(今は藤戸石といわれる)は、豊臣秀吉が京都に聚楽第を築いたときに、庭に運び込まれ、のちに京都・醍醐寺三宝院の庭園に移されたという(建武年間(1334から1338年)に足利将軍により取り上げられ、三宝院の庭園に移されたという伝承もある)。 なお、現在ある石碑は、正保2(1645)年に建てられたと伝えられ、その文字は、熊沢蕃山が書いたものという。 |
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ギャラリー |
浮州岩跡を説明する石碑(撮影:堀家純一) ※こちらは昭和59(1984)年の建立 |
浮州岩跡石碑の刻字部分 |
参考文献 | 『倉敷市史』 永山 卯三郎/編 (1964年) 『藤戸 岡山文庫』 原 三正/編著 (1991年) 173p 『倉敷市文化財総合調査報告 第2集』 倉敷市文化財総合調査委員会/編集 (2003年) 123p |
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