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有本芳水の詩碑について
質問内容
回答内容
①『郷土の詩人有本芳水』の「岡山後楽園の芳水詩碑」に、三木行治氏と芳水詩碑の建立について記載されている。三木氏は「かつて岡山中学に在学していた少年の日、芳水の詩に心をよせ、これを愛唱し、『芳水詩集』を求めようとしたが、貧しい家に生まれたため求めることが出来ず、友人から借りて写しとって、来る日も来る日も愛唱するようになった。」と言う。三木知事(当時)は芳水の詩碑をつくりたいと『文芸春秋』にも書いたりしたが、昭和36年(1961)に自ら発起人となって、後楽園内に詩碑を建てた。詩は「小鳥よ小鳥ようらやまし 生れ故郷の恋しさに 小鳥となりて春の日を 声はりあげてうたひたや」というものである。詩碑の除幕式にも招かれた三木知事(当時)であったが、その後間もなくこの世を去った。告別式で棺が墓場へと送り出される際、女子高生によってこの詩が合唱されたと言う。除幕式の写真や、芳水と詩碑の写真も掲載されている。
②『有本芳水 少年の日の春は行く』では、除幕式や三木知事(当時)と歓談する芳水の写真のほか、石碑に刻まれた、詩碑建立に寄せる三木氏のことばが掲載されている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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