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日本で最初の海水浴場
質問内容
回答内容
日本最初の海水浴場の開設については、次のように諸説あるが「沙美海水浴場」が日本で最初ではない。
・『明治事物起原』(資料①)の「海水浴場の始」では、「大磯町照ヶ崎の海濱を観て、浴潮に適する地となし、明治十八年八月、驛人に諭して浴場を開かしむ。これ本邦に於ける海水浴場の始なり」と記載がある。
・『岡山事物起源』(資料②)には、「岡山初の海水浴場沙美がオープンしたのは明治九年のこと」(原文ママ)と記載される。
・『岡山県大百科事典』(資料③)の「海水浴場」の項目には、「日本最初の海水浴場は、1881年(明治14)愛知県(常滑市大野町)」に開設」とあり、「岡山県では1884年沙美海岸(倉敷市玉島黒崎)」の海水浴場が開設されたことが紹介されている。
・『東海東山畿内山陽漫遊案内』(資料④)の「大野海水浴」の項目では、「明治十四年此地海音寺の住職磯谷某土地の有志と謀りて水浴場を開き」と解説されている。
・『海水浴と日本人』(資料⑤)には、明治初期の日本における「お雇い外国人の海水浴」の状況を紹介するとともに、巻末「日本の海水浴関連年表」では、明治8年に「横浜の富岡が海水浴場として知られる」と記載する。
・『横浜山手外人墓地』(資料⑥)には、「日本の海水浴場の始めは明治十八年の夏の大磯海岸というのが定説のようだが、それより八年ほど前、横浜の富岡海岸の水質を検査して海水浴場として”適”マークを付けたのがヘボン博士とその友人のS・エルドリッジであった。(中略)それはレジャーとしての海水浴ではなく、健康増進や病気療養を目的とする日光浴でもあり『潮湯治』であった」とある。
・『岡長平著作集 第2巻 岡山始まり物語』(資料⑦)では、明治14年7月26日「山陽新報」(資料⑧)に「田之口村ニ於テ海水浴場八月十日ヨリ四十日間開設致候」という内容の掲載広告を紹介している。
・「日本の『海水浴の大衆化』について」(資料⑨)では、「岡山県の海水浴場史」としてその大衆化の様子が論じられており、「岡山県田之口村の海水浴場は内務省衛生局の指導下で作られた、日本で最初のものと言うことができる」と述べられている。
・明治11年5月24日「讀賣新聞」(資料⑩)には、「長崎縣士族鐘江晴朝」が「芝濱松町の河岸へ海水浴場を建るために一萬千八百坪ほど拝借したいと此ほど願ひ出た」という記事の掲載がある。
・『東京市史稿 市街篇第61』(資料⑪)には、長崎県士族の鐘ヶ江晴朝が「芝新濱町貳番地海岸ニ於テ海水浴相開候件」として、明治11年(1878年)に海水浴場を開設させるための届出文書が掲載されている。
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