デジタル岡山大百科 | 岡山県立図書館

レファレンスデータベース > 倉敷市立中央図書館が現在地にできるまではどこにあったのか。

倉敷市立中央図書館が現在地にできるまではどこにあったのか。

質問内容

倉敷市立中央図書館が現在地にできるまではどこにあったのか。

回答内容

"図書館要覧などによれば、現在地へ移転までは以下の通りになっています。
昭和21年10月 1日 岡山県立倉敷図書館開館 所在地:倉敷市旭町640番地 倉敷難波女学校跡
昭和26年 5月20日 岡山県立図書館倉敷分館と改称
昭和32年 7月 9日 岡山県総合文化センター分館と改称
昭和35年10月 1日 元倉敷市教育委員会事務局庁舎跡へ移転 所在地:倉敷市旭町651番地
昭和39年 5月 1日 元倉敷電報電話局跡へ移転 所在地:倉敷市本町974番地
昭和43年 4月 1日 倉敷市立倉敷図書館となる。
昭和58年11月 3日 現在地へ移転開館となる。 所在地:阿知2-6-1(元倉敷市住吉町256番地)

倉敷市旭町640番地は、現在の鶴形1丁目3の「松田病院」の位置になる。倉敷難波女学校(裁縫の塾…赤木元蔵『倉敷史話』P.7)は、昭和3年4月の「市制記念倉敷市新地図」で同地あたりに確認できる。南側には隣接して県立倉敷高等女学校(後の倉敷青陵高等学校)があった。同651番地は、鶴形1丁目8の「倉敷郵便局」の位置になる。この地は、旧倉敷市役所跡地になり、その北側の一角にあった。倉敷市本町974番地は、本町2-21の「倉敷公民館の位置」になる。倉敷市住吉町256番地には、倉敷市役所本庁舎・分庁舎、倉敷市水道局などがあった。現在の図書館は、水道局庁舎と市役所分庁舎あたりになる。また現在の市営駐車場のあたりには遊園地もあった。なお、岡山県立倉敷図書館以前については、原澄治(彰邦)が大正12年にその蔵書を寄贈して倉敷旭町小学校(後の倉敷東小学校)内に倉敷図書館を設立したことに遡るようである。その後、難波女学校跡地へ移転した後、その全蔵書を岡山県へ寄贈して、昭和21年に岡山県立倉敷図書館となっているようである。このあたりの事情は新修倉敷市史などに詳述されている。

参考文献
 『図書館要覧』(倉敷市立図書館、昭和49年)
 『倉敷の図書館 図書館要覧第37号』(倉敷市立図書館、平成30年)
 『絵図で歩く倉敷のまち』(吉備人出版、平成23年)…「市制記念倉敷市新地図」付属
 『倉敷史話 赤木元蔵先生講演集』(倉敷市文化連盟、昭和63年)P.1~
 『新修倉敷市史6近代下』(倉敷市、平成16年)P.465~
 『倉敷市住宅案内図』(日本住宅地図刊行会、政文社、昭和40年前後の発行)
 『ゼンリンの住宅地図 倉敷市中心部1』(善隣出版社、昭和54年)
 『ブルーマップ 倉敷市1』(ゼンリン、平成29年)

"

回答館・回答団体

倉敷市立中央図書館

カテゴリ情報

カテゴリ情報レファレンスデータベースレファレンス事例データ倉敷市立中央図書館

メタデータ

レファレンス事例
タイトル
レファレンス事例
タイトル

倉敷市立中央図書館が現在地にできるまではどこにあったのか。

(クラシキシリツチュウオウトショカンガゲンザイチニデキルマデハドコニアッタノカ)

回答した図書館または団体
回答した図書館
または団体

倉敷市立中央図書館

(クラシキシリツチュウオウトショカン)

情報源(回答)
情報源(回答)

回答内容参照

NDC分類
NDC分類

217.5:岡山県

その他のメタデータを表示
このページのURL
このページのURL

http://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp/id/ref/M2019091011332408046