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倉敷市歌
質問内容
回答内容
初代倉敷市歌について、資料①『高梁川 第63号』収録の寄稿「倉敷節考」中に関係する記述がある。
これによると、初代は、倉敷節とともに昭和9年10月22日に懸賞募集がなされ、昭和9年10月24日付の『山陽新報』に規程等が掲載された。
昭和10年2月5日、第一次審査委員によって111篇中優秀作品の入選候補者約10篇、佳作30篇を採択。優秀作品の選出は富田砕花に依頼した。
応募作品の中に入選に該当する作品は無かったのと、富田氏が自作の市歌を別で送ってきたことから、選歌は選歌として表彰、市歌として市民が歌うものは富田氏の作詞が採用され、作曲は岡山市出身の宮原禎次氏に依頼した、などと書かれている。
資料②『倉敷地方民謡と方言』資料③『倉敷市歌 くらしきぶし』には、初代倉敷市歌の楽譜と歌詞が掲載されている。
2代目倉敷市歌については、資料④『全国都道府県の歌・市の歌』に歌詞が掲載されており、解説には、「旧倉敷、児島、玉島の三市合併記念と新倉敷市のイメージアップのため制定された。広報紙に掲載して公募し、応募数288点であった」などと書かれている。
資料⑤『広報くらしき 昭和42年4月号』には、応募条件などを記載した募集の記事があるのが確認できる。資料⑥『広報くらしき 昭和42年10月号』では新しい市歌の歌詞と楽譜が掲載されており、同時に、作曲者の教諭の略歴や顔写真も紹介されている。
当時の新聞としては、資料⑦『山陽新聞 昭和42年10月4日朝刊』には、入選した市歌の作品テープが第4回市章市歌制定委員会で公開されたという記事がある。資料⑧『山陽新聞 昭和42年10月25日朝刊』では、合併祝賀式で市歌が披露された様子が書かれた記事がある。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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