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池田忠雄の名前

質問内容

大名・池田忠雄の名前の変遷を知りたい。また、名前の読みは「タダオ」か「タダカツ」のどちらか。

回答内容

【幼名から諱への変更について記述のないもの】
資料①『岡山県歴史人物事典』 名前読み:タダカツ
資料②『岡山県通史 下編』には、「勝五郎 新次郎 宮内少輔(中略)慶長七年播磨国姫路に生る。十三年四月十八日兄とおなじく、台徳院殿の御前にをいて元服し、松平の御称号をゆるされ、従五位下宮内少輔に徐任し(後略)」 名前読み:タダオ
資料③『新訂 寛政重修諸家譜 第5』には、「慶長七年播磨国姫路に生る。十三年四月十八日兄とおなじく、台徳院殿(秀忠)の御前にをいて元服し、松平の御称号をゆるされ、従五位下宮内少輔に徐任し(後略)」 名前読み:タダオ

【A説 幼名から忠雄になったとする説】
資料④『岡山市史 第3巻』には、「幼名勝五郎、後に新次郎と改む。(中略)慶長七年姫路城内に生る。同十三年元服を加へ、将軍秀忠の偏諱を受けて忠雄と称し、従四位下に叙せらる。」 名前読み:なし
資料⑤『岡山市史 人物編』には、「幼名を勝五郎といい、後に新次郎と改む。慶長七年池田輝政の六男として姫路城に生まれた。(中略)同十三年元服を加え、将軍秀忠の偏諱を受けて忠雄と称し、従四位下に叙せらる。」 名前読み:タダカツ

【B説 幼名→忠長→忠雄となったとする説】
資料⑥『池田光政公伝 上巻』には、「慶長七年壬寅十月廿八日播州姫路ニ生ル初名勝五郎又新次郎十三年戊申三月某日将軍営中ニ元服シテ従四位ニ叙シ松平ノ称号及偏諱ヲ賜ヒ松平新次郎忠長ト改メラル(中略)其後駿河大納言忠長君ノ諱ヲ避ケ忠雄ト改称」 名前読み:なし
資料⑦『鳥取藩史 第1巻 世家・藩士列伝』には、「幼名勝五郎、又新次郎と云ふ。初諱忠長。後駿府家の諱を避けて忠雄と改む。」、「(慶長)十三年戊申四月十八日、年甫めて七歳、兄忠継公と共に将軍秀忠に謁し首服を加へらる。従五位下に叙し、家号並に偏諱を賜ひ、松平宮内少輔忠長と改め(後略)」 名前読み:なし
資料⑧『池田忠雄墓所調査報告書』には、「池田忠雄(ただお)の略伝を書くにあたって(後略)」、「幼名を勝五郎また新次郎という。(中略)慶長十三年三月、(中略)四月十八日将軍秀忠の前で元服し秀忠の偏名の忠字をもらって忠長と名乗った。」、「忠雄はもと忠長と名乗っていたが元和八年のころに忠雄と改名したようである。」 名前の読み:タダオ

以上から、名前の変遷、読み方について諸説あることしかわからない。

回答館・回答団体

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池田忠雄の名前

(イケダタダオノナマエ)

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(オカヤマケンリツトショカン)

情報源(回答)
情報源(回答)

資料① 岡山県歴史人物事典編纂委員会『岡山県歴史人物事典』岡山 山陽新聞社,1994,1254@p.参照はp.60.
資料② 永山卯三郎『岡山県通史 下編』岡山 岡山県通史刊行会,1971,1050p.参照はp.269-270.
資料③ 『新訂 寛政重修諸家譜 第5』 続群書類従完成会,1964,429p.参照はp.56-57.
資料④ 岡山市役所『岡山市史 第3巻』 明治文献,1975,2674p.参照はp.1965-1966.
資料⑤ 岡山市史編集委員会『岡山市史 人物編』岡山 岡山市,1968,407p.参照はp.16-17
資料⑥ 永山卯三郎『池田光政公伝 上巻』 世界聖典刊行協会,1980,902p.参照はp.328-329.
資料⑦ 鳥取県『鳥取藩史 第1巻 世家・藩士列伝』鳥取 鳥取県立鳥取図書館,1969,642p.参照はp.11-15.
資料⑧ 岡山市教育委員会『池田忠雄墓所調査報告書』岡山 岡山市教育委員会,1964,78p.参照はp.11,15,18.

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289:個人伝記

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